2021年6月8日火曜日

『何者』にみる現代の若者のことば

 【こんな映画】

監督・脚本:三浦大輔  2016 108分

原作:朝井リョウ


出演:佐藤健(二宮拓人) 菅田将暉(神谷光太郎)田名部瑞月(有村架純)小早川理香(二階堂ふみ) 岡田将生(宮本隆良) 山田孝之(沢渡先輩)



  平成生まれの作家として初めて直木賞を受賞した朝井リョウ原作の映画化作品。
就職活動を通して自分が「何者」なのかを模索する5人の同じ大学の学生たちの物語です。
 二宮拓人は昨年の就活に失敗し、2年目に取り組む元演劇青年。彼とルームシェアをしている神谷光太郎はバンド活動にのめりこみ留年してしまいましたが、いよいよバンドも引退し就活を始めます。彼らの同級生・田名部瑞月は留学していましたが帰国後最上級学年を迎えて、同じく就活を始めます。その留学時代の友人小早川理香は、偶然拓人と光太郎が住むマンションの上階に住んでいました。瑞月に紹介されて、彼らは理香の部屋を拠点(本部)として就活に共同で取り組もうと約束します。理香の部屋には男友達の宮本隆良が同居していました。アート志向で自分には決められたルールに乗るだけの就活はなじまないと広言しながらも、焦りを隠せない隆良。
この5人に、拓人の演劇部とアルバイト先の先輩でもある理系の大学院生沢渡や、バイト先の後輩女子学生なども加えて、就職に共通する不安を抱え、また、それぞれに少し違った意識も持ちながら悩みを分かち合ったりぶつけあったりSNSに吐き出しながら就活に励む学生たちの様子や、その中で人間関係も徐々に変化していく有様が描かれます。

三浦大輔監督は1975年生まれ。早稲田大学演劇倶楽部を母体にした演劇ユニット・ポツドールを結成(『何者』の舞台「御山大」はそうしてみると早稲田大学がモデルでしょうか。ちなみに原作者朝井リョウも早稲田大学の出身です)。『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『愛の渦』などの映画でも高い評価を得ている演劇界の鬼才です。『何者』以後、自身の演劇作品を映画化した『裏切りの街』(2016)、『娼年』(2018石田衣良原作)などがあります。


【ことばに関する着眼点】

同年代の学生男女の会話中心で構成されている作品ですので、現代の若者たちの親しい会話のことばの特徴がよくあらわれていると言っていいでしょう。初対面の挨拶から親しくなっていく過程でのことば、互いの呼び方、男女それぞれのことばの特徴、先輩に対することばの選び方など、さまざまな様相が観察できます。なかでも特筆すべきは、この映画では文末形式の使われ方の男女差がほとんどないということです。
明治期以後、日本語の女性のことばには「~わ」「~のよ」「~かしら」など特徴的な文末形式を含む女性専用形式があるとされてきました。しかし1980年代ごろから若い女性を中心に実際の会話(自然談話)の中ではこのような文末形式(特に「わ」「かしら」など)が使われることが少なくなってきたことが観察されます。とはいえ小説や映画などのセリフでは現代にいたるまで「役割語」としてこのような文末形式は生きています。ただ、小説や映画でも2000年代に入り、若い世代中心にこのような文末形式を使う登場人物は減っています。実はこの映画の女性たちは若い世代ということもありますし、親しい友人どうしの会話ということもあるのでしょうが、いわゆる「女性文末形式」と言われる「わ」「かしら」などの文末をまったく使っていません。その意味で日本の女性のことばの中性化を示すエポック的な作品の一つと言えるのではないかと思います。
そんなことを頭に置いて、作品の会話を見ていきましょう。

拓人の会話ー同級生・女性に対してー

1.瑞月:拓人君。
  拓人:おお、瑞月さん、来てたんだ。
  瑞月:久しぶり。
  拓人:久しぶり。
  瑞月:帰国してすぐ連絡しようと思ったんだけどさ、なんかバタバタしちゃってて。
  拓人:ああ。スーツ、もう買ったんだ。
  瑞月:うん。拓人君も就活始めたんだね。
  拓人:あの、スーツ、すごい似合ってる。
  瑞月:光太郎さー、ほんとに歌うまくなったよね。拓人君の舞台もまた見たかったな。
    

就活を始めた拓人と、留学から帰ったばかりの瑞月が、それぞれ光太郎の引退ライブを見に行って久しぶりに再会する場面です。瑞月からは「拓人君」拓人からは「瑞月さん」と「くん」「さん」の呼び方の違い、「おお」「ああ」などの感嘆詞を使う拓人、瑞月が終助詞「(よ)ね」「な」などを使うのに対し、拓人は終助詞無しの言い切りの形が目立つことなど、多少の差異はあるのですが、いわゆる「女性文末形式(わ・かしら)」や「男性文末形式(ぞ・ぜ)」が使われることはなく、あえて言えば話し手を交換したとしても、男女差ではなく「個性差」として、それほど違和感は感じられないような話し方を二人ともしています。

「くん」「さん」については、社会人としては「さん」が上下どちらにも使える敬称であるのに対し、「くん」は上位者から下位者にしか使えません。ただし日本の小中学校〜高校ぐらいまでは、しばしば教師が児童・生徒を呼んだり、同級生間でよびあうときに男子には「くん」をつけ、女子には「さん」をつけるということが行われてきました。女子が男子を「くん」付けで呼んだとしても、別に下に見ているというわけではありません。
それほど親しくない、単に教室内で同席するというような場合「名字+さん/くん」が使われることもありますが、上記の拓人と瑞月は「名前(ファースト・ネーム)+さん/くん」で呼び合っていて、これは名字だけの関係よりは少し親しいー大学に入って知り合った二人ですが四年間の友人関係によって大分親しくなった…、でも瑞月が「光太郎」と呼び捨てにするほどには二人は近い関係にはないことがわかります。拓人は実は瑞月を片思い、しかし光太郎と瑞月はかつて恋人どうしとして付き合っていたという、微妙な関係が瑞月の二人に対する呼び方の差に表れています。このように、「くん」「さん」で始まった教室内の関係が、親しさの度合いによって名字から名前に、呼び捨てにと変化していくのはよくあることです。
また、教室内の「さん」「くん」をジェンダー的にあえて差異化する言い方として否定し、例えば「さん」で統一しようなどという学校・教師の考え方も存在します。
大学生ともなると、先生は学生を「大人」として見ますし、特に最近では学生を男女で区別すること自体が問題とされることもありますので、先生が男子学生を「~くん」女子学生を「~さん」と呼び分けることはなくなるように思われます。
『何者』では、特に異性からや、それほど親しくない同性からの場合、男性を「名前くん」と呼び、女性を「名前さん」と呼んでいますが、これは高校時代までの習慣が残っているのだと考えられます。親しい同性どうしは女性も男性も「呼び捨て」が基本になっているようですが、恋人どうしのような、より親しい関係の間では男女ともに呼び捨てにしあうこともあるようですし、また、後から出てくる光太郎のように「名前ちゃん」などと呼ぶこともあります。


拓人と光太郎

同級生でも、より親しい男性どうしの場合はどのような話し方がされているでしょうか。拓人が家に戻ると、同居する光太郎は就活に備えて、今までの金髪を黒く染めたところでした。

2.拓人:いや、お前
  光太郎:どう? 似合うっしょ
  拓人:うん、まあ。
  光太郎:いやー、すげえ 久しぶりだわ、黒髪にしたの。
  拓人:つか、お前、家で髪染めるって、高校生かよ
    光太郎:いや、だって金もったいねえ じゃん。とにかくもう、引退ライブ終わったし。
    これから就活始めっから、いろいろ教えてくれよ、拓人先輩!
  拓人:ああ。
  光太郎:飯食った
    拓人:ああ、まかない食った
  光太郎:ああ、おれ、食欲ねえな。打ち上げで飲みすぎた。
         ‥………
  光太郎:そういえば、お前、瑞月に会った?
  拓人:え? ああ、きのうお前のライブで。
    光太郎:あいつ、スーツで来やがってな。もう、ライブ中は就活のこと忘れたかったの
       に。 ステージから見えて萎えたわ
  拓人:いや、おれもスーツだったけど。
  光太郎:拓人はいい

二人はたがいに「おれ」と自称し、「お前」と呼びあいます。光太郎はかなり自由自在な話し方という感じで、「~っしょ?」(いわゆる「ス体」の問いかけ)、「すげえ」「もったいねえ」(「oi」「ai」の長音化)「始めっから」(「る」の促音化)「来やがる」(いわゆる「卑罵語」で、さげすんだり罵ることば)や、「わ」「じゃん」「の」のような終助詞も使っています。拓人の「~かよ」という言い方、光太郎の「食った?」に答えて「食った」と「食べる」でなく「食う」を使う、また光太郎が「教えてくれよ」と相手に依頼する言い方なども、少なくともこの映画では、親しい男性どうしだからこそ出てくる言い方といえるでしょう。瑞月や理香の女性どうしの会話には出てきません。

この場面で光太郎が2度にわたって言う終助詞「わ」は実は下降調のイントネーションで発話されています。いわゆる女性文末詞として上昇調で発話される「わ」とは明らかに違うもので、この映画には10例ほど現れますが、いずれも光太郎、拓人、隆良と男性によって使われています。女性の「わ」使用は上昇調、下降調にかかわらず1例も現れません。「わ」を使わず同じような気持ちを表すとすれば、「~(だ)よ/な」などを使うのが普通かと考えられますが、1の瑞月が「歌うまくなったよね」「見たかったな」と言っているように、女性の場合も「わ」を使わない言い方をしているのです。

女性専用形式「のよ」

実はこの映画に現れる「女性専用形式」といえる文末は次の「のよ」1例だけで、男性である光太郎によって使われたものです。

3.光太郎:拓人! 俺とルームシェア、しねえ?
  拓人:声、でけーよ。つか、しねーよ。
  光太郎:あのさ、あのさ、あのさ、あのさ、あの、俺はバンドで、おまえ演劇だろ?
    ほら、俺ら、あの、夜型でさ、生活のリズムも似てるし、二人で家賃割ったら安く
    つくんだよ。
  拓人:そりゃ、そうだろ。
  光太郎:ねえー、アタシたち、うまくいくと思うのよ
  拓人:やめろよ。

これは、まだ1年生だったときに、光太郎が拓人にルームシェアを提案するシーンですが、冷たく断ろうとする拓人に、「アタシ」という自称詞も使いながら、あたかも女性が甘えるような調子を装って提案する光太郎です。こうすることで、提案の「まじめさ」を緩和して、ふざけているようでありながら、相手の懐に飛び込んでしまう光太郎の「話術」がすでに見えています。「やめろよ」と言いながら、拓人は結局光太郎と同室で学生生活を送ることになるわけです。

再びー親しい同級生の会話

今ままであげてきたのは、比較的親しい男女、または男同士の1対1の会話でした。ではこれらが入り混じって複数が会話をすると、どんな感じでしょうか。

4.  瑞月:理香、連れてきたよ。
  理香:あ、入って待ってて。
  拓人・光太郎:お邪魔しまーす。
  光太郎:拓人、うちの間取りと同じだよ。
  拓人:ああ、当たり前じゃね?
  光太郎:つか、すげーおしゃれじゃね?
  理香:お待たせ―。あ、小早川理香です。よろしくお願いします。
  光太郎:神谷光太郎です。よろしくお願いします。
  拓人:二宮拓人でーす。
              ・・・・・・・・・・・
5.光太郎:プリンター! あ、ちょっと借りに来ちゃっていいっすか?うちのぶっこわれ
    たまんまで。
  理香:全然、いいよ。あ、じゃここ就活対策本部にしようよ。
  光太郎:お。そうしよ、そうしよ。ちょっとこれからよろしくお願いします、本部長!
  理香:こちらこそよろしくお願いします。
  光太郎:お願いします。就活という荒波にお互い立ち向かっていきましょう。
  理香:うん。イェーイ(光太郎も声を合わせる)
  光太郎:やばい、すげー心強いわ。
  理香:いろんな業界に興味ある人がいた方が情報収集できるしね。
  光太郎:そっかー。

4.では瑞月が光太郎と拓人を理香の部屋に連れてきて引き合わせます。ここでは瑞月と理香、光太郎と拓人は互いにはくだけた調子の普通体で話していますが、互いに初対面の相手とは丁寧体で挨拶をしていることがわかります。部屋の奥から出てきた理香が「お待たせ―」といったのは友人の瑞月に対してで、そこで初対面の男性二人に会った理香はすぐに丁寧体に切り替えるわけです。これに対して光太郎・拓人もきちんと丁寧体で答えています。

5.はそのあとすぐに続く場面で、光太郎のスピーチ・スタイル転換の絶妙さが見える場面です。理香の部屋のプリンタを目ざとく見つけた光太郎は「借りにきちゃっていいっすか」と「借りに来て(お借りして)いいですか」よりは少しくだけた軽い調子のいい方で理香にお願いをします。ここはひょっとしてプリンタを貸すことを負担に思うかもしれない理香に軽い言い方で大したことではないような頼み方をすることによって負担を減らしてYes・Noにかかわらず答えやすくしているとみることができます(ここに表れる「ッス」については後ほど詳しく検討してみましょう)。幸いにも理香は「全然いいよ」と若い人らしい、共感も示す表現で答え「ここを就活本部にしようよ」と普通体の軽い言い方で提案します。光太郎はそれに対し「そうしよ、そうしよ」と軽い調子で答えますが、それにとどまらず「よろしくお願いします」と改まった形式で挨拶、しかも理香を「本部長」と冗談めかしてではあるが立てる。それに理香が同じく丁寧体で答えると、再度「お願いします、就職という荒波に立ち向かってきましょう」とすこし大げさともいえる言い方で返答をする、と、こんな言い方を経て理香は光太郎に心を許したようで、この後の会話は二人とも普通体のくだけた調子で話を進めています。
もしここで光太郎が「そうしよ、そうしよ」だけで話を止めたなら、理香は、初対面なのにずいぶん遠慮のない調子で他人の部屋を使おうとすると、不満や批判を感じたかもしれません。光太郎の丁寧体と普通体のスイッチはそのような相手の不満をおさえ、改まりと気軽さとの間を自在に行ったり来たりしているものと言えるでしょう。「やばい、すげー心強いわ」と若い人(男性?)がよく使う「やばい」や「すげー」、そして先にも述べた下降調の「わ」を使う段階で、光太郎は理香を親しい友達として遇し、お互いの気を許しあった会話ができるわけです。

一方の拓人はどうでしょうか。
理香の使う就活のための練習用エントリーシートに、光太郎が興味を示します。

6 光太郎:え?何?これ?
  理香:練習用のエントリーシート。どこでも聞かれそうなことがまとめられてて便利だ
   よ。
  光太郎:へーっ?でも、おれバンドしかして来なかったしな。書くことなんてねーよ。
  理香:そんなことないでしょ。ねえ?
  瑞月:うん。
  光太郎:いやいや、そんな英語ペラペラみたいなさ、強いカード持ってる人にいわれたく
          ないの。 
    理香:えー?(笑う)いやいやいやいや…
  拓人:まあ、でもお前が持っているカードを強いカードに見せることはできんじゃない
   の?
  光太郎:え?どういうこと?
  拓人:就活ってトランプのダウトみたいなもんでさ、ダウトの時にエースをキングだって
   いうみたいにどんなカードでも裏返して差し出すわけでしょ。
  光太郎:うん。
  拓人:つまりいくらでも嘘はつけるわけでしょ。
  光太郎:嘘?そういうもん?
  拓人:まあ、もちろん嘘ってばれたらおしまいだけどな。
  光太郎:ああ。
  瑞月:拓人君の分析って説得力があるよね。
  光太郎:うん。
  理香:まあ、戦い方は人それぞれだよね。
  光太郎:やあ、なんか、おれ、今日来れてラッキーだな。なんか、これでやっと本腰入れ
       て就活始められっかも
    理香:あ、おなかすいてない?なんか作ろっか?
  瑞月:いいよ、いいよ。そんなに気ー、使わなくても。
  光太郎:お願いしまーす!
  理香:はーい。 

光太郎は、理香のエントリーシートに興味を示しながらも、自分にはそこに書けるような強い「カード」はない、といいます。これは単純な感想であるとともに理香に対する賞賛にもなっているわけですが、拓人はあたかも光太郎に助言をするような姿勢で、エントリーシートには嘘が書ける=信用できるものではないと、理香の提示したエントリーシートそのものや、ひょっとすると理香の英語能力さえをも否定するような発言をしています。これに対してもともと親しい光太郎と瑞月はそれぞれに感心するのですが、理香はいい気持ではありません。ただ彼女も拓人に面と向かって反発するのではなく「戦い方は人それぞれ」と大変婉曲的な反論をしています。この場面には若い初対面の二人の互いへの反感の示し方が現れています。二人はこのあとも、正面から対決することはありませんが、婉曲的な表現で反発しあい、また拓人は裏アカウントのツイッターで理香や他の友人への批判を書き込み、それを知った理香との間で最後の対決をするという展開になっていきます。
なお、理香の「戦い方は人それぞれ」発言のあとの光太郎の無邪気とも言えそうでいながら拓人、理香双方をフォローするような発話、理香の、この話はせず、しかし会話を主導しようとする話題転換、素直・率直だけれども理香の心情を読み取ることはできない瑞月、さらに図々しそうにふるまいながら理香の心情に飛び込んで寄り添う光太郎と、三者の様相がよく表れている会話になっています。この場でも拓人は自分の言いたいことだけ言い理香に婉曲な反発をされた後は、発言することができず会話の流れから取り残されてしまうのです。


先輩との会話ー「ス体」の出現

理系の大学院生沢渡は、演劇部での先輩でバイト先も一緒と拓人にとっては、ある意味では光太郎よりも親しいともいえる頼りにもしている人物です。ある日、拓人は沢渡の部屋で、理香に対しては否定的だったエントリーシートを書いています。

7. 沢渡:来週からまた研究室、こもることになってさ、しばらくバイト休みにしてもらっ
   た。
  拓人:へー、先輩、忙しいっすね
  沢渡:うん、また帰れない日が続くよ。
  拓人:ああ、大変だな。
  沢渡:お前、思ってねえだろ。
  拓人:いや、思ってますよ。(沢渡がカップ麺を渡す)あ、すいません。あざっす
  沢渡:なに書いてんの?
  拓人:ああ、エントリーシートです。
  沢渡:書きなれてんだろ、んなの。どんなこと書いてんの? 見せろよ。
  拓人:それは、マジ、ちょっと勘弁してください。
  沢渡:そんな見られたくねえんだったら自分ちで書けよ。

ここでは沢渡は普通体基調で「思ってねえだろ」「んなの(そんなの)」「書いてんの?」「見られたくねえんだったら」のような音変化や脱落のある形、「見せろよ」「書けよ」のような命令形(+よ)、そして対称詞「お前」を使い、上から下に対するくだけた親しい調子で話しています。
それに対して拓人は基本的に丁寧体「です・ます」で答えています。「~てください」「すいません」など比較的丁寧な依頼や挨拶語も出てきますし、呼びかけは「先輩」と地位名称です。1か所「ああ、大変だな」と普通体になったところがありますが、これは先輩の多忙に思わず出た内面吐露、つまり自発的な感想で独り言に近いと言ってもいいでしょう。先輩に対してはどんなに親しくても丁寧体を使うというのが、学生どうし(職場でもそうかもしれません)の一つのルールになっています。
ただし、ここで気づくのは「忙しいっすね」「あざっす(ありがとうございます)」、それに「マジ」というような「丁寧体」というには少し語弊があるようなくだけた言い方が、丁寧な言い方と併用される形で使われていることです。

中村桃子(2020)はまさに『新敬語「マジヤバいっす」社会言語学の視点から』という書名で、このような「~っす(ス)」を含む話体を「ス体」と名づけて考察しています。
中村(2020)は神奈川のある大学の同じ体育会系クラブに属している1年生2人(後輩)と2年生1人(先輩)の会話をビデオ録画し観察しました。3人のうち、先輩が決して「ス」を使わず、「です・ます」も使わないこと、後輩どうしも「ス」「です・ます」を使わず、後輩から先輩に対しては「ス」「です・ます」が使われていることから、「ス」は「です・ます」と同様に丁寧ー話し相手に対して敬意を表する言い方として使われていると言っています。「「ス体」は「です・ます」の丁寧さを受け継ぎながら「です・ます」だと遠すぎる相手との距離を少し短くする、つまり〈親しさ〉も同時に表現する。「ス体」の主要な働きの一つは〈親しい丁寧さ〉を表現することだ」(中村2020・P59)とのことです。後輩は先輩に対して丁寧体を使うのが原則ですが、実際にこの調査では、「主張をやわらげる」「同意してつながりを示す」「聞き手を選択する=複数の相手がいる時に、今の自分の話の相手は先輩なのだと示す」「仲間意識を表明する」ときなどに「です・ます」よりは「ス」が使われることが多いとしています。

7の場面でも、後輩の拓人は、先輩の忙しさを想像し同情を示す(=仲間意識の表明といえるでしょうか)ときは「ス」、先輩に「思ってねえだろ」と言われて相手のことばを否定する(=形式的には相手の体面を損なうことになる)ときはきちんと「ます」を使って相手との距離をとります。そして先輩が出してくれたカップ麺への親しみを込めた感謝では「あざっす」と、拓人なりの相手との距離や親しみ感の調整をしているようです。

なお、中村(2020:pp56)では同じ調査の中で、ふだんは「ス体」を多用している後輩たちが、先輩から情報を求める質問をされたときには「~です」と答えている例をあげ、先輩が「知らないこと」を後輩に聞くこと自体が先輩の体面が保てないことなので、後輩は先輩の体面を保つためによりくだけた「ス」ではなく「です」を使って丁寧に答えたのだとします。
実はまさに同じことが、7にも起こっています。沢渡に「名に書いてんの?」と聞かれた拓人は「エントリーシートです」と答えます。「知らないから後輩(目下)に聞く」こと自体が先輩としての体面が保たれないことであると(無意識に)感じた拓人はここでは、先輩の体面を保つためにきちんと「です」を使っていると考えることができます。

ところで中村(2020)は読売新聞社の投稿サイト『発言小町』に投稿された「ス体」に関する言説を観察し、このような話体にたいする世間的な評価を分析しています。それによれば、「ス体」に関するこのサイトの投稿は大きく2つに分けられます。一つは敬語の規範に基づいて「「ス」は丁寧語ではない」とする批判的な評価(マジメ系レス)、もう一つは「ス」を投稿文中にも使うなどして「あざけり語」として機能させることによりパロディ化したりコミカルにして笑わせるような新しい意味を付加する(オモシロ系レス)ものですが、後者も含め、90%までが、「ス」は丁寧語ではないとしていたとのことです。否定的にとらえられるにしろ、面白い新しいものとしてとらえられるにしろ、この語(話体)が今までにない「新語」としてある人々に使われ、新語や流行語は丁寧ではない乱れた言葉として批判否定されるという傾向がここにも現れているのかもしれません。

光太郎・隆良の「ス体」

男子学生が先輩に向かってよく使う「ス体」ですが、拓人以外の登場人物はどんなふうに使っているでしょうか。
5.では、光太郎が理香のプリンタを借りようとして「借りにきちゃったりしてもいいすか?」と頼むシーンを紹介しましたが、ほかに光太郎が「ス体」を使うのは、8.9.などのように、就活を一足先に始めている拓人に対して助言を求める場面で、拓人を、半分ふざけるように親しみをこめて「師匠」「兄さん」などと呼びます。そんなときにこの「ス体」もいっしょに現れています。

8 拓人:(終活に関する情報サイトを検索して)多分、このサイトが一番充実してるかな。
   光太郎:フーン、さすがっすね、拓人師匠。

9 光太郎:つか、拓人はいいの?  俺だって、あの、(ウェブテストを)手伝うのに。
  拓人:ああ、まあ、いいよ。俺受けるところ、ウェブテストってさ、あんま重視されて
   ないから。
  光太郎:さすがっすね、拓人兄さん。

ほかに、光太郎が拓人のバイト先のカフェで、拓人の親しい先輩である沢渡に会うシーン10がありますが、ここで光太郎は、後半初対面の後輩女子学生が登場して、出版社に就職が決まった光太郎を賞賛する、その中で沢渡も加わった会話に答える1か所以外では「ス体」を使いません。なお、実はこの後輩は「ス体」使用者というより「多用者」。これについては後述しますが、光太郎は女子学生とのそのやりとりに「ス体」は使わず普通体で答えています。ただ、最後に沢渡にも褒められて謙遜するところで「ス」を使いますが、これは次に続く謙遜が先輩のホメを否定することになる、その否定の強さを避けるために、先輩がホメとして言った「狭き門(をよく通った)」を(マジメにではなく)軽く肯定するために「です」を避けたと見ることができそうです。あるいは、それまでの女子学生の口調の影響を受けたということもあるかもしれません。

10 光太郎:もしかして、サワ先輩ですか?
  沢渡:あ、はい。
  光太郎:いや、もう、いろんなことまとめて、今日はもうサワ先輩に俺がお礼を言おう
   と思いまして。
  拓人:なんで、お前がお礼を言うんだよ。
  光太郎:いや、いいから、いいから。ほんと、こいつがいつもお世話になってます。
  沢渡:いやいやいや。
  光太郎:いや、ほんとに、すいません。(拓人に向かって)お前も、ほら、言え。
          ・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
  沢渡:ま、でもやっぱり狭き門だよね。出版社って。
  光太郎:ままま、そうなんけどね。いや、でも全然大したことない。
  後輩女子学生:いやいやいやいや、すごいです!

いっぽう、拓人と一緒にいた隆良が、偶然沢渡先輩に出会うシーンは次のようなものです。

11 隆良:(拓人にとも沢渡にともなく)だれ?
  沢渡:あ、沢渡です。理工学部の院の2年。
  隆良:あ、理系の院生なんね。宮本隆良です。

目の前にいる初対面の相手に対して「だれ?」と問いかけるのもかなり失礼な態度と思われますが、この隆良という青年は、他の4人とはちょっと一線を画して、就職には自分は向かない、フリーランスでアート系の仕事をしたいと望んでいます。拓人は「大したことない人脈をひけらかす」「自分が断っている途中のことをやたらにアピールしたがる」として隆良にいい感じをもっていません。実際にこの初対面場面では、年長(大学では学部は違うが先輩になる)の沢渡がきちんと自己紹介をしたのに、自分が名乗るより先に(目上の)相手の立場を確認するというのは相当失礼な態度だといえます。ここで「ス体」を使うというのはさらに失礼な感じもします。ただ、隆良の立場からすると「~なんですね」と言うとすれば、かしこまって大真面目に相手の発言を確認するということで、より相手の体面を傷つける行為として意識された可能性もあるかもしれません。
とはいえ、このような使い方が、『発言小町』(中村2020)に紹介された評価(否定するにせよ面白がるにせよ「丁寧」とは言えない)につながっているとは言えそうです。

『何者』の女性の「ス体」

『何者』の女性たち、瑞月と理香はこの映画に描かれたシーンではまったく「ス体」を使っていませんが、拓人のアルバイト先の同僚である同じ大学の後輩女子学生は「ス体」をよく使います。

12 女子学生:拓人さんと沢渡さんって、演劇?まだやってるんでしたっけ?
  沢渡:いや、もうとっくに引退したよ。
  女子学生:結局、わたし、演劇? 一回も見に行けなかったんです。ごめんなさい。
  拓人:いや、別にいいよ。学生時代の趣味みたいなもんだったし。
  女子学生:あれ、なんでしたっけ?前に誘ってくれた劇のタイトル。
  沢渡:『彼女の瞳に映る紫色を我々の多くは知らない』
  女子学生:超かっこいいすよね。メッチャ泣けそう。だれが考えたんです?その話、セ
    ンスやばいっすよね

13 女子学生:あの、すみません。もしかしてオーバー・ミュージック(バンド名)のボー
    カルのかたですか?
  光太郎:はい、ボーカルのかたです。
  女子学生:あたし、御山大の2年なんですけど、ライブ結構通ってて。
  光太郎:おお、俺バンドやってて、こんなん初めてだ。
  女子学生:ありがとうございます。
  光太郎:ありがと、ありがと、ありがと。
  女子学生:バンドずっと続けるんですか?
  光太郎:ああ、もうね、引退したんだよ。あの、就職が決まって。帝国出版に。
  女子学生:マジっすか! 超有名なとこじゃないすか
  光太郎:が、第一志望だったんだけれども。まあ、あっさり落ちまして、俺が行くのは
    総文書院っていう中規模出版。
  沢渡:でも、そこってけっこうおもしろい本出してるよね。
  光太郎:そうなんですよ。
  女子学生:でも、出版社に内定ってすごくないっすか?倍率メッチャ高いですよね。
  光太郎:いやいや、もう大したことはないよ。1000倍ぐらいだよ。
  女子学生:メッチャ高いじゃないっすか
  光太郎:冗談、冗談、冗談。
  沢渡:ま、でもやっぱり狭き門だよね、出版社って。
  光太郎:ままま、そうなんすけどね。いや、でも全然大したことない。
  女子学生:いやいやいや、すごいです。
 
この女子学生は「超」とか「メッチャ」、「マジ」、「ヤバい」など、現代の若者が驚きやほめ、程度の高さを表すのに使う言葉を駆使して、拓人や沢渡の演劇(の題名)をほめ、また、光太郎の就職を賞賛します。ここで気づくのは、彼女が「ス体」を使っているのが、いずれもいわば相手を驚きをこめて賞賛することばであり、しかも「~か」「~よね」などが後続しているーつまり断定的に賞賛するというより、賞賛する相手を意識して呼びかけるような文脈であることです。
例えば、12.「(演劇を)見に行けなかったんです」13.「あたし、御山大の2年なんです」のように自分のことを語る場合、また、12.「誰が考えたんです?」13.「バンドずっと続けるんですか?」のように相手自身のことについて何らかの情報を求める場合には「ス体」は使われません。13.で「倍率メッチャ高いですよね」というのは倍率の客観的な高さについての相手への確認ですが、「1000倍くらい」と答えられて「メッチャ高いじゃないっすか」というのは相手の返答を聞いたうえでの驚きや、それをくぐりぬけた相手へのほめになっているのです。
人をほめるということはプラスの評価査定するということです。実は自分よりも目下・格下と思っているような相手から評価・査定されるというのは必ずしもうれしいこととはいえず、ほめられたとしても対面を傷つけられたと感じられる場合もあります。そこでほめる側としては、主張をやわらげ、先輩を先輩として立てながら同時に親しみをこめ、評価することで相手の体面を傷つけるような表現を避けて「ス体」を選んでいる可能性があります。
初対面の先輩にもバンドファンという立場でいわばなれなれしく話しかけてくるような活発な感じのこの女性も、案外神経の行き届いた「ス体」と「です・ます」の使い分けをしているわけです。

このような「ス体」の使い方は別に女性に限ったことではなく、例えば8.9.の光太郎の「さすがっすね」などもまさにそういう使い方です。8.9.の光太郎の相手は同級生・ルームメイトでもある拓人で、本来丁寧体を使って話す必要がある相手ではありません。しかし、ここでもし光太郎が「さすがだなあ、拓人」などと言ったとすると、上から目線のほめことばというより評価になってしまい、ほめたとしてもむしろ相手に不快感を感じさせ失礼なヤツだと思われる可能性もあります。そこで光太郎は(あくまでもふざけてではありますが)拓人を「師匠」とか「兄さん」と呼んで自分の立場を下げ、そこから「ス体」を使う軽い親しみをこめて賞賛評価をしているのです。

「ス体」は男性にも女性にも使われることがわかりました。しかし『何者』の中でおもな女性主人公である瑞月や理香には「ス体」は現れません。これはどう考えるべきでしょうか。

実は中村(2020)はTVCMに現れる「ス体」を観察し、このような話体を用いるキャラクターについても考えています。それによれば、CMに登場する男性キャラクターで「ス体」を使うのは伝統的な「男らしさ」に縛られず、それを軽々と乗り越えるような人物(や鬼)であり、そこで表されるのは伝統的な男らしさを是とする中年からから見て理解のできないような若い男性(後輩)の<丁寧さ>よりは<軽さ>を示すような「相手への意識のなさ」だといいます。そしてこのようなキャラクターがCMの中で「変人」として描かれることにより、そのような新しい男性像が提示されるとともに、「ス体」などは理解できない(使わない)伝統的な男性像も対比されていまだきちんと主張されているというのです。

いっぽう、CMには「ス体」を使う女性たちも登場しますが、こちらも従来の「女性らしい」話しことばでは物足りない女性像、特に女性の目から見ても好ましい女性の姿として描かれ、男性の場合よりもさらにそのキャラクター性が強調される。つまり男性の場合、若い男性が一般的に「ス体」を使うことが多いのに対し、女性の場合は使う女性と使わない女性がはっきりとキャラクターに相応して分かれるー使うキャラクターは伝統的な女性らしさの枠を超えて自由な、女性から見て好ましい女性像である、ということになるというのです(中村2020:5章・6章より要約)。

これにあてはめて考えてみると、後輩女子学生の自由なキャラクターに対して、瑞月や理香は伝統的で自由ではないということになってしまいます。しかし、先にも見た通り、「ス体」が使われるのは後輩から先輩(または先輩、兄、師匠などに相手を模した場合)に限られています。瑞月や理香はこの映画の中では先輩と話す場面はありませんし、彼女たちは光太郎のように自分を後輩や異性に模して話すなどということはしませんので「ス体」は現れないと考えるのが自然だとも思われます。「ス体」を使う後輩女子学生が女性としては特別自由な好ましい女性像であるとまで見る必要もないでしょう。場面や相手によっては瑞月や理香も「ス体」を使う会話をする可能性もないとは言えないでしょう。
ただ、就活という事業に立ち向かうためには自身の自由さを犠牲にしなくてはならないというのは男女に限らず、この映画の登場人物の姿であるのは確かである、その意味で就活期を迎えた瑞月や理香のことばが「おとなしくなる」という側面はあるのかもしれません。
これについてはもう少し大勢の若い女性の先輩格の相手に対する話しことばを見てみたいところです。

若者ことば、といえるかどうか…新語の発生

「ス体」もそうですが、今まで上げてきたセリフの中には中高年はあまり使いそうもない、いわば若者ことばともいえそうな表現がたくさん出てきました。たとえば、2.4.の光太郎の「すごい(スゲー)ひさしぶり」「すごい(スゲー)おしゃれ」「萎えた」、拓人の文頭に出てくる「つか」、これは他の場面では光太郎もよく使います。理香の5.「全然いいよ」、光太郎の5.「ヤバい、スゲー心強いわ」、7.拓人の「あざっす」「マジ」、12.女子学生の「超」「メッチャ」「センス、ヤバい」、この女子学生は13.でも「マジっすか」と言い「メッチャ」を連発しています。9.拓人の「あんま(あまり)重視されてない」という音の追加・脱落なども。最後にこれらの言い方について少し整理して考えてみたいと思います。14~35は『何者』の若者たちが使っている「若者らしい」ことばを目につくままに拾ってみたものです。
18拓人、23、31光太郎、そして13女子学生の「マジ」、同じ13の女子学生、17拓人、22、25、30などで光太郎が「激やば」「やばくね?」などの様々なバリエーションも含めよく使っている「やばい」、文末詞では19、25、32の光太郎、28隆良、33拓人、そして34理香と女性も含め多くの人が使っている「じゃん」などは男女にかかわらず比較的よく用いられ、「若者らしい」感じを与えることばといっていいでしょう。

14:拓人:あの、スーツすごい似合ってる。
15:拓人:いやー、先輩はうらやましいっすよ。院の推薦枠で速攻内定ゲットっすもんね。 
16.拓人:さみー(寒い)よな、そういうの。ラインでやってって話でしょ。
17. 拓人:やべーな、あ、あの。まあ、人気企業だからな。
  光太郎:すげー、人。
18.瑞月:あたしもびっくりしちゃった。もう、ほんと偶然友だちが上の階に住んでて。
   拓人:マ ジで
19. 光太郎:なに作るの?
  理香:うーん、あ、豚キムチとかは?
  光太郎:全然あり
  理香:じゃあ、マヨネーズがあるから、豚キムチマヨ。
  光太郎:うわ、何、それ。最高じゃん! ありがとう。
20.光太郎:理香ちゃんはさ、どんな所に行きたいの?
  理香:うーん、やっぱり語学力を生かせるところに行きたいかな
     ・・・・・・・・(中略)・・・・・・
  拓人:じゃあ、あれだ、大企業志向ではない感じだ。
  理香:会社の理念と自分の考えがあっていることのほうが大事かな
     ・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
  瑞月:あたしはやっぱり会社の知名度気にしちゃうかも。だって何があるかわかんない
     し、安定を求めちゃうかな
21.瑞月:出た、拓人君の分析。ちょっと聞かして
  拓人:まあ、勘つーことで。
22. 光太郎:(音楽を)かっこいいんだよ。これ、激やば
23.光太郎:(雨に濡れた洗濯物を取り込みながら)うわ、やばマジか

24.光太郎:お、やべー、非通知だ。うわ、ぜってー面接の結果じゃん
25.拓人:倍率、半端ないしね。
26. 拓人:あいつら、それがさむいってわかってないんですよね。想像力がないっつーか
27. 隆良:向こうに合わせてやっても作品の価値が落ちるだけじゃん
28.光太郎:もう最終面接にいるみんながさ、行きたくないのバレバレで、もうめちゃくち
  おかしかったんだよね。
39. 光太郎:メアドでツィッターのアカウント検索するやつ、あれヤバくね?だって、俺だ
  ったらゼッタイやだもん、OB訪問してきた子がさ、ツィッターで話しかけてきたら。
30. 理香:今日のグルディス、拓人君一緒だったの。
  光太郎:え?マジで。うわ、そんな気まずいことあんだ
31.光太郎:それでは内定を祝しまして乾杯!いやー、めでたいめでたい。
  拓人:つーか、なんで祝賀会がおれのバイト先なんだよ。
  光太郎:いいじゃんつか、お前がこんなおしゃれなとこでバイトしてるとはなあ。
32. 拓人:理香さんだって同じじゃん
33. 理香:そんな人どこの会社でも欲しがるわけないじゃん
34. 隆良:(携帯電話は)コンビニのトイレにおきっぱだったよ。
35. 瑞月:拓人君の舞台、すごい面白かったもん。

【音の転化 さみー・やべー・すげー・つか】
16.さみー(寒い)、17.やべー(やばい)、すげー(すごい)などはいずれも連母音ui oi aiなどを続けて長音化したもので、『何者』では男性だけが使っていることは先に2の例に続けて書いたところです。このような音転化「しねえ(しない)」「おもしれ―(おもしろい)」「ひでー(ひどい)」などに関してはもともとの江戸弁(東京下町方言)などにも見られたもので、実際のところ若者のことばの特徴とは言えないでしょう。これらのことばが「若者らしい」という印象を与えるのは、むしろ「さむい」「やばい」「すごい」などが本来的な意味から変化した新しい意味や形式を付加されて使われているからかもしれません。
このほかに音が変化しているものとしては、拓人、光太郎がよく言う「つか」「つーか」は「というか→ていうか→てか・つーか→つか」と変化したもので、この音変化は21拓人の「勘つー(という)ことで」にも現れています。ただし面白いのは『何者』に「というか」は皆無、「ていうか」は以下36 文末の1例だけで、他の人物も元の語形を使うことはありません。ここからは、この言い方が音転化とは意識されず、すでに常用的な文頭の言いだしのことばとして、(若い?)男性用語として定着しているようにも見えます。

36. 理香:拓人君って烏丸ギンジ君の友だちなんでしょ?  隆良に聞いた。
  拓人:ああ、まあ、友達っていうか


【ことばの意味や語形の変化  やばい・さむい・マジ・全然・バレバレ・速攻】
もともと使われていたことばだが、意味が変化したというものです。
「やばい」は江戸時代にも隠語として使われたという名詞「やば」(法に触れたり危険だったりして具合の悪いこと)がもとで形容詞化し「危ない」という意味で使われてきましたが、『何者』では23「ヤバ、マジか」(雨で洗濯物が濡れてしまう)、24「お、ヤベー非通知だ(面接の通知がきた?)」のように「大変だ!」から5「ヤバい、スゲー心強いわ」、22(音楽を聴いて)「かっこいいんだよ。これ、激ヤバ」のように「すばらしい」「よかった」のように、いずれにしろ驚きつつ、その驚きの内容が強烈であるような場合に良い意味・悪い意味問わず使われ、語形も「やばい」「やべー」「やば」さらに「激ヤバ」とバリエーション化しているようです。
拓人がよく言う「さむい(さみー)」(寒い・寂しい?から)誰かの発言や行動が場違いであったり興ざめである状態を指す言い方に。たくさん出てくる「マジ」は「真面目」からですが、『何者』ではほとんどは驚きを表して「ホント?」という感動詞のように使われています。
「全然」は5理香「全然いいよ」19光太郎「全然あり」は2例ですが、通常は副詞としての「全然」は後に打消しの語や否定的な表現を伴うとされる、その文法的規定からいうとまったく外れた使い方です。『何者』には8例の「全然」が出てきますが、他の6例は「全然ちがう」「全然~ない」という語例なので、相手の要望や提案を全面的に(喜んで)受け入れるというこの2例は、やはり例外的な使用というべきだろうと感じられます。とはいえ、この後ろが肯定的な「全然」も実は明治時代の小説などにも出てきますので「新語」とも「若者ことば」とも言いにくい気もします。
28「最終面接にいるみんな、行きたくないのバレバレで」の「バレバレ」は「ばれる」からの形の変化でこれも比較的近年の話しことばにはよくあらわれるようです。「ばれる」自体が中国語の「敗露[bailu]」(露顕する)「暴露[baolu)」(さらけ出す)からきているという俗説?があり漢字がない動詞なのですが、この「バレバレ」とか「見え見え」のように語幹を二つ重ねて「(隠したとしても)わかってしまう」状況を表すのは比較的新しい言い方のように思われます。15「速攻内定ゲット」の「速攻」も「素早く攻める」という意味が、単に速いことをしめす「すぐに」の意味で使われています。考えてみれば「内定」や「ゲット」も後にあげるJargonの1種として「若者ことば」「新語」とみるべきかも…というには、現代では定着して、使用者も「若者」とは限りませんし、何が「新語」か何が「若者ことば」かという判定はなかなかに難しいようにも思います。

【強調表現 超・メッチャ・すごい】
「とても・ひどく・たいへん」というような強調表現は古びてくるとーというか標準化されるとー強調のインパクトが弱くなる?ということで新しいことば=使い方が生まれやすいのかもしれません。「超(チョー)」や「メッチャ」は1980年代ごろからよく使われるようになったと言われますが、気軽な話しことばの中では『何者』でもこれらの語が盛んに使われています。映画の中で使われるということは新語として発生したことばでも、ある程度一般化して、年代を問わない観客が見ても理解ができる(自分たちは使わない若者世代のことばだと思うかもしれませんが)ということでしょう。
実際に私たちが収集した『談話資料 日常生活のことば』(2016)という自然談話資料では「メッチャ」の使用者は20代男女に比較的多いのですが、「チョー」は20代女性の使用がやや多いものの10代から60代に、「すごい」も各年代に分布しています(遠藤2018)。
「すごい」に関しては、もともとは「凄い」で「ぞっとするほど恐ろしい」ということから「ぞっとする=驚くほど程度が高い」と意味が転化したということなどは、いまさら言うべきこととも思えないほど、「よくも悪くも程度が高い」ことを示すことばになっていることは言うまでもありません。「新語」としては1拓人「スーツすごい似合ってる」35瑞月「舞台すごい面白かった」のように動詞や形容詞の前が「すごく」という連用形ではなく、「すごい」になる言い方で、これは比較的最近よく耳にするもののように思われます。ちなみに『何者』には10例の「すごい」2例の「すごく」が出てきますが、これらは「~はすごい」「わたしの実家すごい田舎だから」や後輩女子学生が言う「すごくないですか」という形で、「すごく」は丁寧体とともに用いられています。話者はこの後輩の1例をのぞくとすべて拓人か瑞月で、これは光太郎や理香が「すごい」ではなく他の強調表現を使っていると見ることができそうです。光太郎は28「めちゃくちゃ」という強調表現も使っています。

【ちょっと遠回しに言う つか・かな】
「つか」は「というか→ていうか→てか・つーか→つか」と転化したものだと先に述べましたが、これこそ「新語形」と言ってもいいかもしれません。先にあげた『談話資料 日常生活のことば』(2016)の談話には、実は発話頭の「つか」は出てこず「てか」の形がもっぱら使われているようです。この資料の発話頭の「てか」の使用は20代が最も多く、30代がそれに続き、40代がわずか、50代から上には全く使われていません(中島2016)。「てか(つか)」は次の37のように自分の前の発話に続けて、補正しながら言い直して新しい意見を付け加えるような場合、31や38のように相手の発話を軽く受けて、内容的にはその反論やまったく違った意見に談話を転換するときのいわばマーカーのような使い方をしています。泉子・K・メイナード(2009)によれば、発話頭の「ていうか」(前文を引用として疑問の「か」をつける)は躊躇感を出しつつ後続することばに注目してほしいという気持ちを表すのだと言います。この「躊躇感」というのは面白い言い方で、要するに自分の発言であれ他者の発言であれ、完璧に否定するのではないけれど、でもちょっと違った視点、違った意見を言うよということを婉曲に表現していることになります。このような意見提示のしかたは高年代からみれば歯がゆいというか、留保をつけた自己防衛とも見えるような「若者らしい」表現のしかたと言えるかもしれません。

37.光太郎:(理香は)もう高校のときから英語英語で、数学とかスゲー苦手なんだって。
   にウェブテストみたいにさ、もう短い時間でやんなきゃいけないやつだったら、焦っ
   てこんがらがっちゃうんだって。
   つか、そんな苦手なんだったら誰かに手伝ってもらえばいいのにな。

38. 瑞月:(隆良は)午後の部、受けんのかな。あと1時間ぐらいあるけど。
  拓人:つか、隆良って就活してたんだ。

同じように気になる=面白い言い方は20の一連の談話で理香と瑞月が使う文末の「かな」です。どんな会社・職種を希望するのかと聞かれ、「うーん、やっぱり語学力を生かせるところに行きたいかな」「何があるかわかんないし、安定を求めちゃうかな」と他人事のように答えています。断定するにはちょっと自信がないということでしょうか。その判断を相手から否定されたくないという自己防衛的な感覚も働いているようで、聞き手によってはイライラしてしまうかもしれません。若い人に限ったことではないでしょうし、『若者』の中でも男性陣は使いません(男女ともにもちろん、疑問の問いかけや、自問自答的な「かな」は出てきます)が、ここで就職に立ち向かいつつ自信が今一つ持てない若い女性のことばとして設定されているこのような「かな」が実際の日常社会ではどのように使われているのか気になるところです。

【音の脱落 マジ・やば・あんま・おきっぱ・やだ・半端ない】
「マジ」=「マジメ」、「ヤバ」=「ヤバイ」、「あんま」=「あ(ん)まり」、「やだ」=「いやだ」 「半端ない」=「半端じゃない」ということになるでしょうか。
この中でちょっとに気になるのは「ヤバ」(やばい)という形容詞の文末「い」の脱落した形で、「すごッ」「たかッ」「でかッ」と促音がつくような勢いで言い切る形を90年代終わりくらいかららい耳にすることが多くなりました。客観的な形容よりも、それに伴う感動、自分の感覚や気持ちを表す場合によく使われるようです(小林2002)。もともと「熱!」とか「イタッ」のようないいかたはあったわけですから、語形自体も使い方も新しいとは言えないかもしれませんが、その範囲は明らかに広がっているように思われます。ただし映画世界『何者』の中ではほぼ「ヤバ」に限られてはいるのですが。

【Jargon (+縮約/省略形) メアド・グルディス・エントリーシート・ウェブテスト】
「Jargon(ジャーゴン)」とは「専門用語」「職業用語」などとも訳されるような、いわゆる仲間うちだけに通用することばです。『何者』に出てくることばについて言えば「メアド(メールアドレス)」も「グルディス(グループ・ディスカッション)」ももはやJargonとは言えないかもしれませんが、登場人物の生活の場というか中心となっている就職や、パソコンに関するようなことばと言うのは、それにかかわりのない人には理解しにくいことばとして一応Jargonのうちに入れておきます。もう一つ言うと日本語の場合このような言葉が複合語であればそれぞれの語頭を取って縮約形または省略形ともいえるような形を作ることも多いと言えます。
これらのことばがいわゆる仲間内のJargonから、一般的な用語に広がっていくのはその世界が一般化する(PCやSNSなどに関する用語はまさにそうなっている)ことによりますが、現代では『何者』も含む映画やその他メディアによって業界用語などが多くの人に知られ使われるようになることもあると言えます。 

さて、まとめてみると

文末に男女の差がない、というところから出発した『何者』のことばの考察ですが、実際に細かく見てみると、特に「スゲー」「やべー」のような連母音の長音化のように、少なくともこの映画の中では男性に限られることばもあり、「ス体」やその他の比較的新しい時代に用いられるようになったことばについても、闊達に自在に用いているかのような光太郎から、まじめなオーソドックスな話法に終始して新語の類はあまり用いない瑞月まで差があることがわかりました。これらを男女差と見るのか、個性の差と見るのかには論もあるところかもしれません。ー瑞月だって場や相手によってはもっと自由に新しいことばや若者らしいことばを駆使するかもしれないという意味において。逆に自由自在に相手の懐に飛び込むようなコミュニケーションをとる光太郎も、というか光太郎だからこそ場と相手によっては丁寧体を使い省略的な表現などを使わないという意味でオーソドックスなスピーチスタイルをとっていることを垣間見ることができます。取り上げた他の映画にはあまり出てこないような新語・若者ことばはこのようなことば・話体の使い分けのはざまで生き生きとその姿を現しているようです。
映画『何者』では瑞月のまじめさや、光太郎のコミュニケーション能力が就活を成功に導くと言っているようで、悩める若者である拓人や理香ー二人とも言語能力は決して低くはなさそうですがやはり自分へのこだわりが強くて、相手の心情を思いやるようなコミュニケーションがとれない??ゆえか、なかなか就活に成功しません。本当は多くの若者がむしろ拓人や理香のようであるはず…。そんな若者たちにエールを送りたくなるような映画です。


  【参考資料】

・中村桃子(2020)『新敬語「マジヤバイっす」社会言語学の視点から』 (白澤社/現代 
   書館)
・遠藤織枝・小林美恵子・佐竹久仁子・高橋美奈子編(2016)『談話資料 日常生活のこと
   ば』(現代日本語研究会・ひつじ書房)
・遠藤織枝(2018)「強調表現 メッチャからスンゴイまで」『今どきの日本語 変わるこ
   とば・変わらないことば』(遠藤織枝編・ひつじ書房 2章)
・中島悦子(2018)「「この本おもしろいっていうか」という心理」『今どきの日本語 変
   わることば・変わらないことば』(遠藤織枝編・ひつじ書房 8章)
・泉子・K・メイナード(2019)『ていうか、やっぱり日本語だよね』(大修館書店)
・小林美恵子(2002)『日本人にも外国人にも心地よい日本語ー共生社会の日本語』(明石
   書店)




 







 
      



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