2018年7月1日日曜日

『ハッピーフライト』にみる職場のことば―丁寧体と普通体



【こんな映画】

監督:矢口史靖 2008 103

出演:綾瀬はるか(悦子) 田辺誠一(鈴木) 時任三郎(原田)寺島しのぶ(山崎)田畑智子(菜採) 平岩紙(美樹) 田山涼成(森田) 田中哲司(小泉)森岡龍(中村) 小日向文世(望月) 菅原大吉(客) 長谷川朝晴(渡辺)

 


 あわただしい準備のあと出発した「羽田発ホノルル行きANA1980便」は、出発後バードストライクによるピート管破損で、台風の中羽田に引き返すことになリます。新米CAの悦子、今日のOJTOn-The-Job Training・・現任訓練)次第で機長昇格が決まるコーパイ鈴木を中心に、運行にかかわるパイロット、CA(キャビン・アテンダント)、管制官、OCC(オペレーション・コントロール・センター)、整備士、グランドスタッフなどのさまざまな小事件や人間模様が生き生きと描かれています。描かれるほとんどすべての人間関係は職場がらみ、しかも仕事に関する話題のみで描かれているという点でも珍しく、面白い映画です。いろいろな職種、いろいろな関係が登場し、会話をするので、その様相に注意して見ていきましょう。(ANAの宣伝戦略の上手さにも驚かされた!という映画ですが)



【「ことば」に関する着眼点】

「敬語」は日本人にとっては悩みの種?どんな場でどんなふうに使ったらいいのか、間違ったら恥ずかしい…毎年4月になると「敬語本」や「話し方本」が書店に並ぶのも、新入社員のそんな悩みを反映しているようです。
また、日本語には丁寧体(です・ます体)と普通体(だ・である体。会話の場合は終助詞がつくことが多い)がありますが、その使い分けも、日本語学習者ばかりでなく社会に出るか出ないかという年ごろの若い日本語ネイティブにとって案外難しい問題です。
この映画では、職場の中でどのように敬語や丁寧体、普通体の使い分けがされているかを観察しながら、基本的な使い分けの基準について確認していきたいと思います。


親しい同僚どうしの雑談

ANA1890便ホノルル行きに国際線初乗務が決まったCA(キャビンアテンダント)悦子は、やはり初めての国際線乗務に緊張する2人の同僚とともに、出勤バスに乗ります。

1 郁美:あーあ、なんか緊張で気持ち悪くなってきた。

悦子:大丈夫?

郁美:いままでは大抵12時間だったじゃん?
どんないやな乗客でもすぐお別れできたけど、今度国際線だもーん、機内食とか、免税品とか、絶対なんか失敗する。

悦子:グアム便でなにそんなに弱気なこと言ってるの?、わたしなんかホノルルなんだからね。

果歩:ね、あんたの便さ、このチーフパーの山崎さんて、噂の鬼チーパーじゃない?

悦子:ん?、だれ?

果歩:知らないの?、山崎麗子、怖いって有名じゃん

郁美:あ、知ってる。その人と一緒に乗るとき、お水たくさん飲んだほうがいいんだって。

果歩:あ、それあたしも聞いたことある。

悦子:なんで?

果歩・郁美:いっぱい泣くからよー


 同期の3人どうし、上司や先輩CAの前では口に出せないような不安とか「鬼上司」の噂とかがきわめてくだけた口調で語られます。「あーあ」という感動詞、「じゃん」「もーん」などの語尾、「超」という若者らしい言い方、それに「あんた」という呼びかけや、「~さ」という助詞などが使われ、同等な親しいものどうしの普通体の会話です。
 同じ1980便に乗るコーパイ(副操縦士)鈴木も同輩の藤田と出勤してきます。直前のシュミレーション訓練で事故機を操れず大失敗した鈴木ですが、今日は機長に昇格するために審査を受ける試験乗務なのです。



上司と部下の対話

2 鈴木:よーし、今日こそ絶対OJT終わらしてやる

藤田:大丈夫だろ?、おまえの教官、望月キャプテンだもん

いいなあ、望月さん、絶対合格サインくれるよ。

鈴木:そうなんだよねー、ああいう人ばっかりだと助かるんだけど。

たまにいるじゃん、こう威圧感ばりばりの人。そういう人があたっちゃうとさー

あ、望月キャプテンおはようございます。

望月:くーっ

鈴木:風邪ですか

望月:あー、なんか調子悪いと思ったら熱出ちゃってさ、

鈴木:ああ、そうなんですか。あ、じゃあ、

望月:うん、悪いんだけど、スタンバイでキャプテンと交換してもらったから。

あ、もう来てる。あちら原田教官。

原田:おはようございます。原田です

鈴木:おはようございます。あ、え、あの。

望月:みんなに移さないようにさっさと帰るから。

もう訓練始まってんだからね、じゃ。がんばって。

原田:きみは今日合格すれば機長昇格のOJT終了ですね

鈴木:はい

原田:じゃあ鈴木キャプテン早速ですがブリーフィングをはじめてください

鈴木:はい。せんきゅうひゃくは、1980便ホノルル行きですお願いします
  

 鈴木と藤田、二人だけのときは、CAの同僚たちと同じようにくだけた調子で「だもん」「じゃん」「なあ」「~さー」「だよね」という語尾、また「絶対」という副詞や「威圧感バリバリ」というような強い調子の俗語的な形容詞が使われる若者らしい普通体ですが、そこに今日同乗する予定の教官・望月キャプテンが現れると、鈴木のことばは一変して丁寧体になります。これに対する望月教官のことばは友達に対するような親しげなフランクなものですが、風邪をひいて乗務できなくなった彼が代わりを頼んだ原田教官はこの場面では鈴木に対して丁寧体を使って崩しません。鈴木ももちろん丁寧体、しかも「あ、え、あの」と言いよどんだり、自分の便名をつっかえて言いなおすなど、だいぶ緊張しているようです。
 それでも根がおっちょこちょいなのか、それとも自分の緊張をほぐそうとしてか、鈴木は原田に向かって冗談を言います。でも、このときも鈴木は丁寧体です。 

3 鈴木:こういうの知ってます? 上昇気流とかけて、緊張しいと解く。

その心は、あがってまーす

原田:きみはどうして帽子をかぶんないんだ

鈴木:あっ、はい。


冗談に笑いもせず、鈴木が苦手でかぶらない制帽について問いただす原田。このとき原田は普通体で「どうして~なんだ」と詰問口調になります。あわててかしこまる鈴木。
これらの会話から分かるのは、部下が上司に話しかけるときは丁寧体を崩さない。しかし、それに対する上司は丁寧体でも普通体でも選べるということです。

『ハッピー・フライト』にはほかにも何組かの上司と部下の会話がでてきます。こちらはどうでしょうか。
 まずは地上勤務の職員たちです。


4 森田(チーフマネージャー):整備作業で遅れようが天気が悪くて欠航になろうが、スーツケースが壊れようが、お客様の文句はすべて地上係員に来る。なぜかわかるか!吉田!

吉田美樹:はい?、 エーと。

森田:それをうまく処理するのがわれわれの仕事だからだ。この班は先月からオンタイムで出せてる便が半分以下だぞ。気を引き締めてオンタイム厳守!

一同:ハイ。

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  木村菜採:あの、この間の話なんですけど

森田:今は無理だな、半年待ってくれ

菜採:半年前も同じこと言いましたよ

森田:せめてこいつを使い物にしてからな

美樹:マネージャーひどいですー。

菜採:こんどは本気ですから

美樹:菜採さん辞めないでくださいよー

菜採:もうわたし体力的に自信ない。出会いもないし、このままここで一生働くなんて絶対いや。

美樹:出会いありますよ、きっと。芸能人とかしょっちゅう来るじゃないですか。

やめたら(なま)で見れなくなっちゃいますよー。

菜採:あんたいいわねえ、得な性格で。


 前半は地上勤務職員のミーティング。チーフマネージャーの森田は歯切れのよい普通体で部下を叱咤激励します。終助詞などもほとんどつきませんが、唯一「半分以下だぞ」と押しつけるような強い「ぞ」が使われています。これに対して部下たちは「ハイ」と返事をするほかありません。
 後半では部下の一人、中堅の菜採が森田に退職を願い出ます。菜採はもちろん丁寧体。「~なんですけど」「~ですから」と言いさしたり、終助詞「よ」をつけたりして語調を和らげようとしていることも見てとれます。森田もミーティングの時ほど強い調子ではなく「~だな」「~てくれ」と断定せず、命令ではなく依頼するような調子ですが、「です」「ます」を使わない普通体であることはかわりません。
森田に引き合いに出された美樹は、菜採にとっては「できの悪い後輩」ということになります。森田には丁寧体を使う菜採も美樹に対しては普通体で、「自信ない」「絶対いや」と言い切り、「あんた」と呼びかけています。いっぽうの美樹は森田にはもちろん、先輩・菜採にも丁寧体を崩しません。ただ、美樹のことばには文末に少し伸ばし気味の終助詞「よ」が目立ちます。「よ」は相手の知らないことや気づいていないことを言いながら自分に注意を引きつけようとする働きがあるとされます。終助詞をつけることで少し断定を和らげますが、対人関係的には少し押しつけがましくなることもあります。マイペースで先輩や上司を困らせながら甘え上手でもある美樹のキャラクターが表れている表現と言えるでしょう。自分を「こいつ」呼ばわりし、「使い物にならない」ことを言う上司に対して「マネージャーひどいですー」と臆することなく非難する美樹ですが、これも最後を少し上昇イントネーションで伸ばして、いかにも甘えているかのように言ってしまう美樹らしさの出た話し方です。ただし、ここももちろん、あくまでも丁寧体。
とはいえ、こんなふうに甘えたり、部下が上司を批判したり、もの申したりできるというのは、双方に相当親しい日常的な関係があるからということで、日常の大変な業務を協力してこなしている、この地上ステーションゆえということになるでしょう。


上司の丁寧体

次は飛行機の花形、客室乗務員たちです。
 1で鬼チーパーと噂された山崎がキャビンアテンダント(CA)一同を前に打ち合わせをします。

5 山崎:修学旅行の団体はテンションが高いから巻き込まれないように注意して。

CA一同:はい。

山崎:それと本日の便ではファーストクラス用のデザートが温かなチョコレートケーキになります
コースの目玉なので丁寧にもりつけてください

盛りつけ方法は行ってますか

CA奈々:はい、もらっています

悦子:わあ、クーベルチュールチョコレート使ってるんですね。

CA奈々:え?何?

山崎:そうだけど?

悦子:デザートってわたしたちの分もあるんですか

山崎はグランドマネージャーの森田とは違い、基本的に丁寧体を使い、部下への指示も「~てください」と依頼形ですが、「ください」を省略した普通体の「て依頼形」を使うこともあります。新米CA悦子が食いしん坊らしいとぼけた反応をすると「そうだけど?」。
これは疑問形ではありますが、反応のズレへの批判も含めて厳しくとがめる口調です。これに対するCAたちももちろん丁寧体で、悦子のようにとぼけた発言であってもことば遣いだけはきちんとする。これは職場内の「けじめ」でしょう。

 山崎は大変頼りがいのあるチーフパーサーで、機長を支え、機長からも頼られる存在です。しかし、飛行機内の地位は機長がトップですから、こんなやり取りもあります。

6 山崎:準備できました。ブリーフィングお願いします。

原田:そっちの都合で勝手に進めてもらっちゃ困る。責任者はこっちなんだ。

指示するまで待ってろ。(コーパイ鈴木に向かって苦情を言う)

山崎:ブリーフィングよろしいでしょうか?

原田:すぐ行く。

コーパイ鈴木の失敗にいらだった原田は、山崎にも高飛車な言い方をします。これに対して山崎は明らかに気分を害するのですが、ことばの上では丁寧体やお願い、またうかがうという姿勢をくずしません。

さて、そうして始まったブリーフィングですが、機長の話し方は次のようなものです。

7  原田:おはようございます。機長の原田です。えー、今日の操縦は機長昇格訓練中の鈴木君が担当します。

鈴木:よろしくお願いします。

CA一同:よろしくお願いします。

原田:えー、機体が揺れたら鈴木君のせいなんで、お客様から苦情が出たらそのように言ってください。

悦子:はい。

原田:ああ、メモらなくていいよ。わたしだって冗談ぐらいは言います。

悦子:え? ああ、すみません。


ここでは、冗談を言う場合も含め、機長原田はほぼ丁寧体で話しています。これはブリーフィングという、いわば「公的」な場で、複数の人々を前に話しているからだと考えられます。チーフパーサー山崎の打ち合わせでの会話5も同じようなことが言えます。
 他に上司的な立場であっても丁寧体で話すのは、次のような場面です。


8(機内電話)

原田:原田です。もしキャビンが焦げくさくなったり、何かおかしな振動を感じたら教えてください。

山崎:わかりました。鳥ですね。確認したら報告します。


9(管制塔との交信)

原田:オールニッポンワンナインエイトゼロ鳥に当たりましたがエンジンには吸いこんでないようなんで、そのまま目的地に向かいます。

管制塔(和代):ラジャー。オールニッポンワンナインエイトゼロ、コンタクトデパーチャ―。グッデイ。


10(OCCオペレーションセンターとの交信)

原田:えー、チェックリストすべてやりましたが、エアデータコンピューター作動しませんので羽田に戻ります。鳥か何かが翼にぶつかるのを見たっていう乗客がいるんだけど、この高度でそれはあり得ないと思う。

OCC(詩織):了解。こちらも対処法を検討します。エマージェンシーは宣言しますか?

原田:はい、宣言します。


11(乗客への機内アナウンス)

原田:えー、ご搭乗の皆さまにご案内いたします。機長の原田です。

ええ、当機は計器に若干の不具合が発生したため出発地の東京羽田空港に戻ります。


 11については、お客様に対する話しかけということもありますが、これらはいずれも顔の見えない相手に電話や無線、アナウンスで仕事に関しての「正式」な連絡をする場面です。話の相手は910も原田に比べれば若い女性ですが、こういう場合には機内でいちばん地位が高い機長であっても丁寧体で話し、それに答えるほうも定型的な返答をしていることが分かります。6や8の会話からは、原田機長が時と場合により、山崎チーパーに丁寧体と普通体を使い分けていることがわかりますし、10OCCの詩織とのやり取りでも丁寧体と普通体が混じっています。多分これらの相手は原田にとっては、私的には普通体でしゃべってもいい相手として、位置関係が認識されているということでしょう。


「お客様」に対する敬語と丁寧体

 話し手の社内での地位にかかわらず、顧客には丁寧に話すというのは、会社の「常識」でしょうが、ここでは客が苦情を、しかもかなり乱暴な調子で言っている場合の山崎チーパーの見事な応対です。(ただし、ここでの客のことばづかいの乱暴さには、物語的な誇張もあるかも。普通は苦情も丁寧体で言うほうが多いのではないでしょうか)

12 客:機長はどうした?

山崎:キャビンではわたくしが責任者ですのでご希望やご意見はわたくしおっしゃってください。

客:引き返せ。ホノルルへ行けって言ってんだよ。

山崎:お客様おひとりの希望で安全を犠牲にホノルルまで無理に飛ぶことはほかのお客様全員のためにもいたしかねます。

客:なんだと? おれが言ってるのがおかしいのかよ。

山崎:そうなります。

客:おう だったらなんでさっきのスッチー謝ってたんだよ? 筋通らないじゃないか。

山崎:ええ、わたくしもそう思います。わたくしどもの教育が不徹底でした。彼女はとにかく謝って済ませようとしたんでしょう。でもそれで収めてしまってはきっとお客様には二度とわたくしたちの飛行機には乗っていただけません。こういう時こそ次もまた乗りたいと思っていただけるよう尽くさなければならないと思っております。できればさきほどの客室乗務員にもう一度お客様のサービスをするチャンスを与えていただけないでしょうか。このままでは彼女のためにもなりませんし、なお一層のおもてなしさせていただきますので。

客:わかったよ。いいよ。

山崎:ありがとうございます。


 「お客様」「おひとり」、「おっしゃっる」「いただく」などの尊敬語や、「いたしかねます」「思っております」などの丁寧語、「おもてなしをさせていただく」と謙譲語もあり、自称は「わたくし」をくずさず、折り目正しい丁寧な言い方をしながらも、きちんと相手の無法をいさめ、言うべきことを言って相手を説得しています。ここでは「乗っていただく」「思っていただく」「与えていただく」のように相手の行為を表す語に「いただく」がつく、尊敬語的な使い方、「させていただく」のように自分の行為に「いただく」をつける、いわば謙譲語的な使い方の両方が目立ちます。顧客を、恩恵を与える側、自分たちを受ける側と規定して言っているわけです。


異部門間の対話

 大規模な航空会社のようなところは、様々な職域・部門の人々がそれぞれの職務を果たすことによって仕事が成り立っています。異部門間では地位の差などは必ずしも目に見えませんし、一緒に仕事をする場面よりも、互いに情報を知らせ合いながら打ち合わせをするというような場面が多くなります。その場合には互いにどのようなやり取りをするのでしょうか。次は出発前の機体点検時のライン整備士小泉とコーパイ鈴木です。互いに、それほどあらたまったものではありませんが、丁寧体を使って話しています。年齢的には小泉が少し上のようですが、年齢的な上下にはあまり関係なく、ふだん違った部署で働く、それほど親しいというわけではない関係の中で、互いに距離感をもって敬意を払い合っているというところでしょうか。

13 鈴木:おはようございます。

小泉:おはようございます。今、スタートバルブ待ってるんですけどね。

鈴木:これから交換ですか?、間に合いますか?

小泉:できれば、やっつけちゃいたいんですけど、ピトーヒーターにエラーがでてるらしいんで、様子を見つつですか。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中村:すいません! 探すの手間取っちゃって。

鈴木:珍しいね。ドックから直接来たの?

小泉:せっかく来てくれたのに悪いな。時間ないかもしれない。

中村:やらなくていいんすか? 今すぐ始めれば間に合いますよ。

後半、ドックから若い整備士の中村がスタートバルブを届けに来ました。すると鈴木は普通体に切り替えて話しかけます。自分よりはずっと年下で、いわば小泉の部下格になる中村に対しては異部門間であることよりも、年齢の差を優先して、自分の部下格に扱って親し気な普通体に変えたのでしょう。いっぽう、小泉は同業種の先輩として中村には普通体。これに答える中村はもちろん丁寧体ですが、少し不満もあるのでしょう。「いいんすか?」とちょっとくずした形で、口をとがらせています。ちなみに親し気に話しかけた鈴木のことばは出発前の忙しい整備部門の中では答えられることなく、宙に浮いてしまいました。 異部門間での丁寧体の使用ということで言えば、先にあげた管制塔との交信9、OCCとの交信10なども、こちらに数えるべきとも考えられます。


マジっすか?

 13で、若い整備士中村は上司の小泉に向かって「やらなくていいんすか?」と問いかけました。「いいんですか」の「で」が落ちたいわば省略形で、若い男性を中心に?よく聞く言い方ではあります。コーパイ鈴木が原田に向かって言ったこんな例も…

14 原田:じゃ、操縦のほうは任せたから。
  鈴木:え?いやこういうの(エマージェンシーのこと)初めてなんでお願いしますよ。

  原田:それがだめなんだよ。さっきキャビンで痛めてしまって。(腫れた腕を見せる)

  鈴木:マジっすか?、あ、すいません。


 「マジっすか」と言ってしまった鈴木、しまったという顔をして、すぐに謝っています。彼にとって「マジ」とか「っす」という言い方は、教官原田に対してはふさわしくない、失礼であると認識されたわけです。「マジ」は「マジメ」の省略形(目上である上司に対して「マジメか」と問いかけること自体ももちろん失礼なのですが、とりあえずは置いておいて)、「す」は「です」から「で」が落ちた、これも省略形で、このように省略し短縮することによってあらたまった感じが薄れてしまいます。
丁寧形の「です」を省略・短縮した「す」は1960年代のマンガなどに初めて現れ、80年代ぐらいには運動部の学生や、大工・左官のような技術系の職人などが用いるようになったとされます。「です」は本来相手を尊重したり距離をとったりする丁寧な言い方ですが、その尊重の語感を残しつつ「す」と縮めることにより、距離感をも縮めて親しみを示すことができます。だから「す」は「です」では少し堅苦しかったり、よそよそしいと感じられるような親しい目上-つまり実生活で言えば少しだけ年長の先輩とか、ごくごく気の置けない上司とか-に対して使われることが多いようです。倉持(2009)では、この語がオリンピックのインタヴューやTVのリポーターに使われていることが報告され、永富(2012)では、さらに女性にも数は少ないものの親愛効果を上げるストラテジーとして使われるようなっていると報告されています。
13の中村のこの言い方は、自身の若さの表れとともに、技術者としての職種、上司と近い立場で協力して仕事にあたるというような関係の中で許されているのでしょう。もちろん、小泉がもっと年長であったり、ことばにうるさい厳しい上司であったりすれば、鈴木と同様に「失礼な」言い方になる可能性もあるのです。

 『ハッピー・フライト』にはほかに、こんな場面で「っす」が使われています。

15 (管制塔で)

渡辺:これってどこの土産でしたっけ? 意外とうまいんすよね。

?:おれもそう思う。

渡辺:じゃあ、山下さん、もらっていきます。

・・・・・・・菓子をもらって、階下のレーダー室に下りる渡辺

渡辺:お土産やっぱいつものやつだった。

井口:またか。

渡辺:食う?

井口:いいっす。 いいっす

渡辺:食べかけ。

井口:いらないっすいらないっす

理英:あの、すみません。もうちょっと整理してもいいですか?なんかごちゃごちゃしてると気になるんです。

井口:わあ、それヤバイ。職業病じゃないの? 

 管制塔での渡辺は土産のお菓子のおすそ分けを受けるのに丁寧体「です・ます」に「っす」も交えています。対する相手は普通体ですので、親しいながらも渡辺は管制塔にいる仲間より下位にいる(つもり)ということになります。階下に降りてきた渡辺は、2人の同僚、井口、女性の理英と話しますが、この2人と渡辺の関係はどうでしょうか? 3人の中では理英が後輩、渡辺と井口はほぼ近い親しい関係ですが、渡辺のほうが多分ちょっとだけ先輩かも…というのがこんな短い談話の断片からもわかるというのが、日本語の面白さというかコワさというか…ですね。


さて、まとめてみると…

ANAをモデルとする大きな航空会社では、まずは職階やそれに伴う年齢の上下を中心とする上下関係によって丁寧体を使うかどうかが決まっているようです。つまり地位(職階・年齢)が下の者は上の者に対しては丁寧体を使うというのが一つのルールです。これに対して 上の者は下の者について普通体を使わなくてはならないというルールはありません。実際の職場では映画よりも丁寧体で話す上司は多いのではないかと思われます。実際の会社では年の若い上司と年長の部下という関係もあったり、小さな職場で店長以外は皆パートの女性などということもあります。このような場合全員が丁寧体で話したり、逆に友人関係のように普通体(ため口)などという職場もあるかもしれません。
なお、普通体で部下に命令をする上司も、顧客に対する場合や、日常的には顔を合わせることの少ない異部門の同僚や仕事の関係者、また電話や・無線など顔が見えない場面での公的な連絡、そして少しあらたまった会議やブリーフィングなど場面によっては丁寧体や時には敬語も交えて話すというのも、職場のことばのルールと言えるでしょう。



同僚(同輩)・・・・普通体 ごめん すいません  ~して

                 
部下(後輩)→上司(先輩)・・・丁寧体 (敬語形はほとんど含まない)が基本  
         すいません すみません  ~してください。 お願いします

上司(先輩)→部下(後輩)・・・・・普通体   
          ~して  ~しろ(男性) ~しなさい(女性)
 ただし、ブリーフィング等オフィシャルな談話、電話・無線通信
 異業種・部門の相手などは後輩格であっても・・・丁寧体
                    ・・・上司は丁寧体を選ぶこともできる

接客・・・・・丁寧体(敬語形を含む) 
           申し訳ございません。 申し訳ありません。
           ~していただけないでしょうか。 ご安心くださいませ。


【参考資料】

倉持益子(2009) 「新敬語「ス」の使用場面の拡大と機能の変化」『明海日本語』14 pp2535 

永冨智子(2012)「新敬語「ッス」に見られる男女差」『社会システム研究』10 pp8190 北九州大学大学院社会システム研究科紀要

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