【こんな映画】
監督・脚本:是枝裕和 2015年 128分原作:吉田秋生
出演:綾瀬はるか(長女・香田幸)
長澤まさみ(次女・香田佳乃)
夏帆(三女・香田千佳)
広瀬すず(異母妹・浅野すず)
風吹じゅん(海猫食堂店主・二宮)
リリー・フランキー(山猫亭店主・福田)
樹木希林(大叔母・菊池史代)
大竹しのぶ(母・香田都)
堤真一(医師・幸の恋人椎名和也)
加瀬亮(銀行員・佳乃の上司坂下)
鈴木亮平(理学療法士・すずのサッカーチーム監督ヤス)
坂口健太郎(佳乃の彼氏・藤井朋章)
池田貴史(スポーツ用品店マックス店長・千佳の上司・??浜田三蔵)
前田旺史郎(すずの級友・風太 サッカー仲間 ボーイフレンド)
吉田秋生の人気コミックを映画化した是枝裕和作品。
第68回カンヌ映画祭コンペティション部門に出品され、第39回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞など4冠に輝きました。
鎌倉に住む香田家の3姉妹、しっかり者の長女・幸は看護師、酒好きで恋多き女?の次女・佳乃は地方信金の行員、明るく、気軽・面倒見もよい三女の千佳はスポーツ用品店で働いています。姉妹の父母はそれぞれ家を出てしまっていて、幸は高校生時代から母代わりになって妹たちを育ててきました。
1.佳乃:あの女の人から? 電話。
幸:あの人とは死に別れたんだって。
佳乃:ふーん。
幸:千佳、かきこまない。
千佳:はい。
幸:で、今の奥さんとまた山形で。
佳乃:じゃ、3人目だ。やるー。
幸:(千佳に)あんたね、高血圧になるわよ、おばあちゃんみたいに。
千佳:だって、幸ねえの漬物、味しないじゃん。
幸:浅漬けなんだから、いいの。で、なんか娘がいるんだって。
佳乃:娘って、妹?
幸:ま、そうなるね。
千佳:どうするの? 葬式。
幸:あたし、行けないから、夜勤で。
千佳:そうなの?
ある日、15年前に家族を捨て、別の女性と暮すようになっていた父が亡くなったという報せが来て、姉妹は山形での父の葬儀に参列します。そこで知り合ったのが亡き父の忘れ形見の中学生の異母妹・すずでした。父が亡くなり身寄りがなくなってしまったすずですが、葬儀の場でもけなげに、毅然と立ち振るまい、姉妹は心を打たれます。父はすでにすずの母とは死別し、新しい女性と暮していましたが、その父亡き後、連れ子のいる義母との生活にすずの安住の場所はないとみた幸は、鎌倉にきて一緒に暮らそうと、すずを誘います。
こうして、鎌倉でのすずを加えた4姉妹の生活がはじまります。彼女たちを囲む湘南の陽光にあふれた四季、遭遇するできごとや寄り添うように在る人々の存在が温かく、懐かしく彼女たちの生活を彩っていきます。
【ことばについての着眼点】
この映画の中心となっているのは、基本的には親しい家族の女性間の普通体会話ですが、長女と次女・三女、また最初は他人的存在として三姉妹の前に現れる末妹のスピーチスタイルは微妙に違うようです。
特に長女の幸は、妹たちに対する場合、親しいとはいえ年長で目上ともいえる大叔母に対する場合、長らく別居中の母に対する場合、そして不倫の恋人である椎名に対する場合など、どれも普通体の会話ですが少しずつ違うところがあり、相手によって話体を変えています。
幸や姉妹に対する母や大叔母の話体は、女性形式「わ」や「かしら」なども含む、いわゆる女性らしい形式で話されていることにも気がつきます。
また、末妹すずは初対面では三人の姉に対していかにも他人行儀な丁寧体発話ですが、同居し打ち解けるようになるとことばが変わっていきます。このような変化の契機や、変化の原因についても見ていきたいと思います。
3姉妹ー幸・佳乃・千佳の会話
まずは3姉妹の会話から。
3姉妹の住む香田家に、15年前に家を出て、ある女性と一緒になった父が、山形で亡くなったという連絡が入り、3姉妹が葬式に行く相談をする場面です。
1.佳乃:あの女の人から? 電話。
幸:あの人とは死に別れたんだって。
佳乃:ふーん。
幸:千佳、かきこまない。
千佳:はい。
幸:で、今の奥さんとまた山形で。
佳乃:じゃ、3人目だ。やるー。
幸:(千佳に)あんたね、高血圧になるわよ、おばあちゃんみたいに。
千佳:だって、幸ねえの漬物、味しないじゃん。
幸:浅漬けなんだから、いいの。で、なんか娘がいるんだって。
佳乃:娘って、妹?
幸:ま、そうなるね。
千佳:どうするの? 葬式。
幸:あたし、行けないから、夜勤で。
千佳:そうなの?
佳乃:まあ、いいんじゃないの? 別に。
幸:あんた、行ってきてくんない? 千佳お供につけるから。
佳乃:えー?
佳乃:えー?
3人ともくだけた調子の普通体で話していますが、ここで少し目立つのは、幸が千佳の食べ方や好みについて注意していることばです。「かきこまない」という言い切り、「あんた、高血圧になるわよ」と呼びかけは「あんた」、女性文末形式として断定的な調子の「~の」「わよ」も使っていて、かなり高飛車というか遠慮のないことばづかいです。幸の二人の妹とは一線を画した保護者性というか責任感のありようを示している言い方であり、千佳も多少の口答えはしつつも「はい」とそれを受け容れてもいるようです。
妹たちがここで使う女性文末は疑問を表す「の?」ぐらいで、あとは3人とも文末は『何者』でも見られたような中性的な形式です。姉が妹に「あんた」と呼びかけるのは、叱るときばかりでなく、また次の2で佳乃が千佳に言っている例もあって、この映画の家族の中では普通のことのようです。
2は、幸がいない場での次女・佳乃と三女・千佳の会話ですが、姉の不在によってか、ぐっとくだけた自分の気持ちを直接表すような普通体になっており、文末は動詞の言い切りの他に、神奈川のこのあたりが発祥とも言われる「じゃん」を姉妹どちらも使い、リラックスした会話です。姉は妹に「あんた」ですが、妹は「よっちゃん」と、姉の呼び名をいわばニックネーム化しています。
2 佳乃:なんか、気が重い。父親ったって15年も会ってないし。
千佳:お父さん、やさしかったよね。動物園連れてってくれたりしたじゃん。
佳乃:でも、夜中によくケンカしててさ、お姉ちゃんがお母さんを慰めてるのを
何度も見た。
千佳:わたし、ほとんど覚えてないからね。
佳乃:あんた、まだ、ちっちゃかったし。
千佳:妹か…。
佳乃:ほしいって言ってたじゃん。
千佳:子どものころだよ。今さらそんなこと言われてもさー。
佳乃:だよね。
*****************
千佳:あ、すずしい。
佳乃:ああ、ビール。ビール飲みたい。
千佳:あ、きれいだね。あ、よっちゃん、下、川だよ。なんか釣れるかな。
佳乃:そんなことより、ビール飲みたい。
すずの話体の変化
3 すず:香田さんですか? あたし、浅野すずです。
千佳:あ。
佳乃:それじゃあ、
すず:遠いところお疲れ様です。すこし上りますけど近道なんです。
******** すず:後で母がご挨拶に伺うと思います。
佳乃:あ、ありがとう。迎えに来てくれて。
千佳:ありがとね。
はじめて佳乃と千佳に会ったすずは、名字+敬称(さん)で呼びかけ、初対面の他人への声かけとして丁寧体で話します。すずには、まだ佳乃や千佳を姉と思う認識はありません。これに対して、佳乃や千佳は親しい年下にに話すような調子の普通体で話しています。その後、幸も合流し、3姉妹はすずの案内で街の中の父が最も好きだったという場所に案内してもらいます。そこは鎌倉の風景を彷彿とさせるような山の上でした。そこで姉妹とすずは次ののような会話をし、駅で別れる時に幸はすずに鎌倉に来るように誘います。
4 幸:この町好き?
すず:好きっていうか、こっちへ来てまだそんなにたってないので。
佳乃:だよね。
すず:でも、なんで、お父さんがここに住みたいと思ったのかわかりました。
ここで注目すべきはすずの「婉曲話法」です。すずは、まだ来て間もない、知り合いもいない中で義母にかわって死にゆく父の看病をしたこの街にいい印象は持っていません。すずの年齢であれば「きらい」と言い切ってもいいとも思われますが、彼女は多分これから自分が住み続けていくであろうこの街に対しても、また聞いてくれた姉たちに対しても気を使ったのでしょう。「こちらに来てまだ間もないので(わからない)」という言い方で自分の感情をあらわにすることを避けています。
その後、すずは鎌倉に引っ越し姉たちと住むことになりますが、もちろんこの段階でもすずが姉たちと同じような普通体のくだけた会話をするようになるわけではありません。そんなすずに姉たちは三者三様に、彼女がこの家や姉妹になじむように働きかけをします。
5 すず:わたし、手伝います。
幸:すずはいいから、荷物の整理しなさい。あんたじゃなきゃわかんないでしょ。
すず:はい。
幸:もう、妹なんだから「ちゃん」はつけないわよ。
すず:はい。
6 千佳:おばあちゃんとおじいちゃん。どっちも学校の先生。
すず:へー。幸さんに似てますね。
千佳:それ、幸ねえに言わないほうがいいよ。一番嫌みたい。
すず:そうなんですか?
千佳:うん。お母さんとけんかするたびにそう言われたから。
7 佳乃:もうだめだ!
すず:走れば間に合うよ。 (極楽寺駅に駆け込む)
佳乃さん、早く。電車きた。(電車に乗り遅れ、1本待つ2人)
すず:佳乃さん、間に合います?
佳乃:え?いいのよ。大した仕事じゃないから。
すずさあ、そろそろ「さん」やめない?
すず:「さん」?
佳乃:「佳乃さん」。「よっちゃん」でいいよ。
すず:はい。
出会った相手をなんと呼ぶかということは日本語においては結構難しい問題だと思われます。すずにしてみれば姉たちを「お姉さん」などと呼んで、自分を「妹」と位置付けていいのかどうか、最初は悩むところだったのでしょう。これに対して幸は、自分は妹のあなたに「ちゃん」をつけないと宣言し、佳乃の方は他人行儀の「佳乃さん」でなく千佳が呼ぶのと同じように「よっちゃん」と呼べといわば命じることにより、すずの遠慮を取り除き、妹として遇することを宣言したわけです。
7では、電車に間に合うかどうかというような緊迫した場面で、すずは佳乃に向かってすでに普通体で話しかけていますが、ちょっと落ち着くと丁寧体が戻ってくる状態です。
6の千佳は、まだ丁寧体を崩さないすずに、気軽な調子の普通体で話し、すずが「幸さん」と呼ぶ幸のことも「幸ねえ」という家族内の呼び名で返すなど、親しい年下の女友達ー妹に話すような言い方で、すずをリラックスさせています。
この家族、10代後半から30前後までの4人の姉妹で、気軽な調子の普通体会話が行われているようですが、呼称という視点から見ると案外長幼の秩序のようなものが存在するようです。長姉・幸に対しては佳乃や千佳(そして後からはすずも)は「お姉ちゃん」または「幸ねえ(「シャチ姉」と訛ることも。海獣シャチを思わせる「怖いお姉ちゃん」の意もありそう)、ですが千佳は佳乃を「よっちゃん」と呼び「お姉ちゃん」ということはないようです。また、年上から年下に対しては呼び捨てが原則であることもわかります。すずが親しくなってから千佳を呼ぶ場面はこの映画には出てきませんが「ちかちゃん」とでも呼ぶのであろうことが想像できます。
家族間の特に年の近い兄弟・姉妹の呼び方は現代では昔とは少し変わってきているかもしれません。兄弟姉妹間の長幼の差というようなものがあまり意識されなくなり、互いに名前を呼び捨てにしあったり、「名前+ちゃん」や愛称で呼び合うという場合が増えているのではないかとも感じられます。
さて、そんなふうにしてすずは少しずつ姉たちになじみ、妹らしい普通体も時に出てくるというふうになっていきます。しかし本当に垣根が外れ、千佳が姉たちに対するのと同じようなフランクな普通体基調になるにはまだまだ時間がかかり、映画のおよそ三分の一が過ぎたあたりです。
ある日幸が帰宅すると、間違って飲んだ梅酒に酔っぱらったすずが前後不覚の状態になっており佳乃と千佳が大慌てで介抱していました。今まで抑えていたいい子ぶりのタガがはずれたようにくだを巻くすず。
8 すず:陽子さんなんて大っ嫌い!お父さんのバーカ!
ウーン暑い、気持ち悪い!
姉たちに心配され、あきれられながら眠り込んだすずはやがて目覚めます。
9 千佳:ごめんね。すず。
幸:千佳もダメだけど、すずもダメでしょ。
すず:だって自分ちで作った梅酒飲んでみたかったんだもん。
幸:わかった。来年実がなったら、すず用にアルコール抜きのやつ作ってあげる。
すず:あの梅ってうちで採れたの?
幸:うん
***************
幸:ほら、あそこ。結構実がなるのよ。
すず:へー。
千佳:実もなるけど、毛虫もつくんだよ。
すず:すごい。早くとりたいなあ。
千佳:え?毛虫を?
すず:違うよ、梅の実。
酔って乱れた姿をさらし本音を吐くことにより、姉たちはすずの抑えた気持ちを知りますし、すずもそこからは本当に妹として、姉たちに遠慮をしないくだけた普通体でしゃべり、「違うよ」のような直接的な反論もすることができるようになったのです。
すずはこのように、姉たちとことばの上でも「なじむ」にはなかなか時間がかかり苦労するのですが、一方初めてあった同年代のクラスメートなどには最初から打ち解けた物言いです。
10 クラスメート(女1):よろしくね。
クラスメート(女2):部活は、なに入ってたの?
すず:サッカーやってた。
クラスメート(女2):わたし、バスケだよ。
クラスメート(女3):わたしも。
すず:バスケなの?
*************
風太:浅野。浜田店長が言っていたけど、これオクトパスの。ここに親の名前とはんこ
よろしく。
すず:うち、お姉ちゃんしかいないけど、いいかな?
風太:うん、全然大丈夫だよ。じゃあ、よろしくね。
すず:分かった、ありがとう。
すでにこの会話の前に、転校生としてのすずは皆の前で紹介されてはいるのですが、前半のクラスメートたちとの会話では初対面の挨拶といったものは、ひとりの「よろしくね」を除いては発せられることなく、部活に関する話題に入っていきます(『何者』でもすぐに比較的くだけた会話が行われましたが、少なくとも最初の挨拶や自己紹介は「です・ます」調で行われていました)。その会話はすべて普通体で、「です・ます」は出てきません。
同居して自分を妹として遇してくれる姉たちと、初対面のクラスメートと心情的にどちらがより親しいのかという点での判断は微妙なところですが、少なくともすずや(級友たちの)発することばの上からは、彼らが互いに知り合っているかどうかということを越えて、同じ場でこれから付き合っていく同年代の相手として対等で親しい関係を最初から持ち得ていると考えられます。
幸の普通体ー大叔母や母に対する場合
次に長姉・幸の普通体会話を見ていきましょう。
彼女ももちろん、職場や、たとえば父の葬儀の場面で初対面の父の妻や親戚に会ったとき、また後にも上げる海猫食堂の店主・二宮などとは丁寧体で話していますが、年上の相手でも大叔母、母、そして妻のいる恋人・椎名などとは親しい関係ということで普通体を基調とする会話をしています。しかしその調子は妹たちなどに対する場合とはかなりちがったものです。
11 史代:さっちゃん、犬や猫じゃないのよ。
幸:わかってるわよ、おばさん。
史代:お母さんに相談したの?
幸:別に。そんな必要ないでしょ。
史代:まあね、姉さん、生きてたらあんたとおんなじこと言っただろうけど。でもね、
しつこいようだけど、子ども育てるって大変よ。
幸:大丈夫よ。佳乃や千佳だって、ちゃんとあれしてきたんだし。
史代:さっちゃん、よーく考えてね、あの子は、妹は妹だけど、あんたたちの家庭を壊
した人の娘さんなんだからね。
幸:関係ないでしょ。あの子はまだ生まれてもいなかったんだから。
史代:これじゃ、 また、嫁に行くのが遅れるわ。
幸たち姉妹の大叔母(娘=姉妹の母の出奔後姉妹の面倒を見た祖母の妹にあたる)史代が、姉妹が父の愛人(=再婚相手)との娘すずを引き取ることについて心配している場面です。
大叔母・史代のことばには「~ないのよ」「~したの?」「大変よ」「遅れるわ」などのいわゆる女性形式と言われる文末が目立ちます。比較的高齢の女性のことばとして『家族はつらいよ』の富子のことばなどにも見られたものです。これに対して幸も「分かってるわよ」「大丈夫よ」のように同じく女性形式を使って答えています。
12、13は家を出ていった姉妹の母・都が久しぶりに母(姉妹の祖母)の法事に戻ってきたときの会話です。
12 都:ごめんね、遅くなっちゃって。ネックレス、どこにあれしたかわかんなんくなっ
ちゃって。
佳乃:そんなことだろうと思ってた。
都:千佳、髪型変えたのね。
千佳:うん。
都:佳乃もきれいな色、それ。お母さんも染めてみようかしら。
幸:今日はわざわざどうも。
都:ごめんね、長いこと、連絡しなくて。
幸:お母さん、すずよ。
すず:はじめまして。浅野すずです。
都:ああ、あなたが、ああ、あ、そうなの。はじめまして。幸たちの母です。
13 都:おばさんもいるし、ちょうどいいわ。実はこの家なんだけどね、思い切って処分
したらどうかなと思って。
佳乃:え?処分って、売るってこと?
都:庭の手入れだって大変でしょ?この子たちだっていずれお嫁に行くだろうし。だ
ったら管理も楽なマンションとか…
幸:勝手なこと言わないでよ。お母さんにこの家のことどうこうする権利なんてないで
しょ。庭の手入れなんか、お母さん、一度もしたことないじゃない。管理って、この
家捨てて出て行ったのになんでわかるの?
都:なに、そんなにむきになってんのよ。ただ、どうかなあと思っただけで。
史代:はいはい、もういいから。やめましょうよね。
都:どうして、あんたいつもそういう言い方するのよ。悪かったって思ってるわよ。で
ももとはと言えばお父さんが女の人を作ったのが原因じゃない。
佳乃:ねえ、ちょっと二人ともやめなよ。
幸:お母さんはいつだって人のせいじゃない。わたしたちがいるから別れられない、お
ばあちゃんがダメって言ったからあんたたちを連れていけない。
都:だって、しょうがないじゃない、ほんとのことだもん。
幸:いい年して子どもみたいなこと言わないでよ。
史代:はい、二人ともそれでおしまい。さっちゃん、ことばが過ぎるわよ。仮にも母親
じゃないの。都ちゃん、女作られるにはあんたも悪いとこあったのよ。
都:だって…
史代:だってもなにもありません。この話はこれでおしまい! 姉さん死んでてよかっ
たわ。情けない、まったく。
娘たちを置いて家を出た母に対する意識は、まだ幼かった佳乃や千佳と、置いていかれた妹
たちを自分が育てたと思っている幸とではずいぶん違い、幸は母には厳しい口調で話してい
ます。
12で母・都は、遅れてくるなり千佳や佳乃の髪型に言及し、「変えたのね」「お母さんも染
めてみようかしら」と「のね」「かしら」などの女性形式を用いながら親し気に話しかけま
すが、それも幸には気に障ることで、ことさらぶっきらぼうに挨拶します。ただそのあと、
「すずよ」と紹介する言い方、そして13で、家を売ろうという母に反論する場面など、いず
れも母や大叔母の言い方に合わせるかのように「言わないでよ」「わかるの?」と形は女性
形式、語調は鋭く厳しい言い方です。母や叔母の応酬ももちろん同じ。途中で佳乃が「二人
ともやめなよ」と中性的な形式で言うのがむしろのどかというか、ニュートラルな感じがし
ます。
幸と佳乃のbattle!
幸と佳乃も、実は映画の中でけっこう激しく言い争いをします。
14 佳乃:わたしが稼いだ金、わたしがどう使おうが勝手でしょ。
幸:だったらホストにふられたからって、酒食らって大暴れするのやめてよね。
佳乃:お姉ちゃんにはわかんないわよ。酒飲む人間の気持ちなんか。
幸:わからなくて結構です。
佳乃:ああ、むかつく。風呂先入ってやる。たっぷり2時間。
15 幸:ちょっと、そのブラウス、あたしが買ってきたやつじゃないよ。
佳乃:あれ、そうだっけ?
幸:やめてよね。脱ぎなさいよ。
佳乃:今日だけ、貸してくれたって、
幸:ダメ。あたしだってまだ着てないんだから。
佳乃:お姉ちゃん、この前、あたしのブーツ履いたじゃないよ。
幸:いつの話よ。似合わないって、それ、あんたには。
佳乃:ババクサイ。
幸:ちょっと勝手に着といてババクサイってどういうこと!
佳乃:どういうことよってねえ、
幸:もっとチャラチャラしたのにしなさいよー。
16 佳乃:どう?(新しいスーツを着る)
千佳:いいじゃん。
すず:できるOLの人みたい。
千佳:ねえねえねえ、このさ、「融資課長席付お客様相談係」って、要するに何?
佳乃:うーん、要するにこれからは課長について外回りもありってことよ。
千佳:ふーん。
幸:仕事に生きるんだ。
佳乃:そうよ、悪い?
幸:悪いなんて言ってないわよ。本気ならね。
佳乃:本気ですよー。
幸:男にふられて逃げ込んでるんだったら甘いかもね。
佳乃:そりゃ、仕事一筋ウン十年の人にはかないませんけどねぇ。
幸:何よ、その言い方。だいたいあんたはねえ、
千佳・すず:(さえぎって)いただきまーす!
幸:どうぞ。
この言い争いがおさまって、姉妹は一緒に障子貼りをしたり、海岸に行って貝を拾ったりします。18では佳乃は幸に仕事上の悩みを相談したりもしています。
17 幸:好きなように貼っていいよ。
佳乃:じゃ、これ張ろうかな。よいしょ。 ちゃんと大きさ見てから切りなよ、千佳。
18 佳乃:ちょっといい? 仕事のこと。
幸:いいよ。
佳乃:お姉ちゃんはさぁ、仕事で亡くなる人とかいっぱい見てるわけじゃん? そうい
うのって、どうかなあって。いちいち敏感に感じてたら仕事になんないよね?
幸:うん、でも仕事って割り切ってるかっていうとちょっと違うかな。
佳乃:だよね。はあ、安心した。慣れればいいってもんでもないもんね。
幸:逆に患者さんが亡くなるのには慣れちゃいけないと思ってるよ。
佳乃:勉強になります。(かけてあるブラウスを見て)フフフ。 いいね?これ。
幸:じゃあ、あんたにあげるよ。
佳乃:え?勝負服じゃないの?
幸:わたしは服に頼らなくても勝つときは勝ちますから。
佳乃:フフフ。じゃあ。
お姉ちゃんさ、このうちなら大丈夫だよ。わたしと千佳ですずの面倒くらい見ら
れるし。もう昔とは違うんだから。
幸:うん。ありがと。
佳乃:そんなだと、嫁行く前にお母さんになっちゃうよ。
幸:そうだねえ。気をつける。
14、15、16の言い争いの場面では、幸だけでなく佳乃にも「わよ」「やめてよね」「いつの話よ」「そうよ」「かもね」「なによ」などの女性形式や「なさい」という形の命令形式、また「です・ます」などの丁寧体が現れます。「~じゃないよ」というのもこの場合は「~ではない」と否定したのではなく、「ではないか」と相手に詰問する形式の、これも女性形式といってよいと思われます。このように女性形式をつかったり、やや丁寧な言い方をすることにより相手を責めたり、反論したりというのは、『家族はつらいよ』の敬語や女性形式の使い方とも共通します。17、18で穏やかな会話をするときには、このような形式がなくなり、二人とも中性的な形式と言える「~だよ」「動詞+よ(あげるよ)(なっちゃうよ)」「かな」また普通体終止形言い切りの形の文末になっています。
もう一つ、14で気づくのは、二人の会話では「金」「酒」「風呂」など一般的には「お」をつけて美化語化する語が、すべて「お」なしでハダカのままになっていることです。これは1の千佳の「どうする、葬式?」の「葬式」も、また18の「嫁(に)行く」もそうでした。1や18の例は相手との言い争いの場で言われたわけではありませんから、少し乱暴な感じもする言い方ですが、これは姉妹間の遠慮のない関係の中で出てきたものと言った方がいいかとも考えられます。
ちなみに幸は次の19、恋人・椎名との会話では幸は「お葬式」と「お」をつけて言っています。
幸の普通体ー恋人・椎名との会話
幸は、同じ病院勤務で妻と別居中の小児科医・椎名とひそかにつきあっています。年の離れた椎名は幸にとって医学面でもまた19のように生活面でも助言や援助をくれ、リードしてくれると同時に対等に語り合える相手でもあるのですが、やはり別居中とはいえ、彼に心を病んで不調であるという妻がいることは、幸にとっては負担となっています。父が不倫によってすずという妹が生まれたこと、すずが「奥さんのいる人を好きになるなんて、お母さんよくないよね」と幸に漏らす場面がありますが、そのことばはそのままに幸自身にとって自分を糾弾するものでもあるわけです。
19 椎名:おう。
幸:ああ。
椎名:引っ越してきたんだろ、妹さん。でも、やることが大胆だよな。まあ、さっち
ゃんらしいけど。
幸:やっぱり、行ってよかった。お葬式。でなきゃ妹にも会えなかったし。
椎名:たまには人のいうこと聞いてみるもんだろ。
幸:うん。ありがと。
椎名:今度日勤いつ? 晩飯でもどう?
幸:うん。勤務表確認してみる。
20 幸:あたし、多分人のダメなところばっかり気になっちゃうんだよね。
椎名:それだけ自分にも厳しいんだから、さっちゃんは偉いよ。
幸:ずっと学級委員だったからね(笑う)。 あ、
椎名:ん?
幸:和也さん、お箸噛むでしょう。
椎名:え?
幸:先のほう、ぼろぼろ。
椎名:ああ、子どものころおふくろにもよく言われたよ。
幸:こないだ雑貨屋でいい感じの見つけたんだけど、
椎名:買ってきてくれたの?
幸:ううん。
椎名:買ってきてくれればよかったのに。
幸:お箸を買うって、いろいろ気になるもんですよ、女の人は。
椎名:へー、そんなもんかな。
幸:わたし、そろそろ帰るわ。あした日勤なんだ。
椎名:さっちゃん。
幸:ん?
椎名:おれ、アメリカに行こうと思ってるんだ。
幸:え?
椎名:研修医時代、指導医だった人がボストンにいるんだけど、そこで小児がんの先
端医療を学びたいんだ。一緒に来てくれない?
幸:だって…
椎名:女房とは別れる。あ、ごめん、急にこんなこと言って。でも、ずっと考えて
ことなんだ。
19は、椎名に勧められ、車で送ってもらって最初は行く気がなかった父の葬儀に行き、すず
を引き取ることになったあとの会話で、二人はともに中性的な形式の文末で気兼ねも遠慮も
ないような会話をしています。
20も前半は同じですが、途中椎名の「箸をかむ」癖への言及あたりから少し雰囲気がかわ
ります。幸にとって実際に料理を作り一緒に食事をしているのではあっても、いわば客とし
て椎名が一人暮らしするマンションを訪れていたところから、彼の食器を買うということ
は、それがたとえ箸1膳であってもある種の一線を越えるという感じがするのだと思われま
す。そのあたりに気づかず、妻ある身でありながら無神経に好意を要求する椎名に対して
「女の人(「女」と言わず「の人」をつけているところが幸の初々しさでしょう…)」と一
般化しながら少し皮肉っぽく抗議の意を示す幸のことばは、ここで丁寧体になり、それでも
ピンとこない様子の椎名に「帰る」というときには「帰るわ」と「わ」を使って言い切りま
す。もっともそのすぐ後に「明日日勤なんだ」と語調が強くなる「なのよ」でなく、やや説
明的ともいえる「なんだ」を使う幸はむしろこの部分に椎名に対する「対等な気の許し」を
込めているようでもあります。
20の会話で気づくのは、椎名も自分を説明し意思表明をするのにするのに「(な)んだ」を
よく使い、それに同調するというわけでもないのでしょうが、幸も「なんだ(よね)」を使
っていることです。この形式は『何者』の女性登場人物がよく使っていました(小林201
9)。また自然談話資料などでも若年層を中心に女性もよく使う「中性的な言い方」です
(小林2020)。幸が同じ普通体でも、妹たちや、まして大叔母・母などに対するのとは少し
違った中性形式を多用するにニュートラルな形式を使っていることがわかります。
その後、幸は椎名にアメリカには一緒に行けないと断り、別れを切り出します。
21 幸:ごめん。わたし一緒に行けないや。
椎名:そう言われる気がしたよ。いつまでも決断できなかったおれが悪いな。
幸:お互い様。だれのせいとかじゃない。ターミナルケアをね、ちゃんとやってみよう
かと思う。
椎名:そうか。
この時の言い方も、「行けないや」「~と思う」というむしろぶっきらぼうともいえる
ような中性形式です。女性形式を用いないこの言い方には、幸の「女性としてでなく」
「不満や批判をもつのでなく」「相手と対等に」「自分の決意を述べる」という意志が反
映されているようです。「行けないや」の「や」には年上の心を許した相手へのちょっぴ
り「甘え」の気配もあるかもしれません。
場面による丁寧体と普通体の使い分け 幸と佳乃
サッカーチームに入ったすずや、サポーターの千佳がよく足を運ぶ「海猫食堂」の店主二
宮さんは彼女は昨年母を亡くし、ずっと疎遠だった弟が母の遺産の分け前をよこせとやっ
てくる、そのうえ本人には胃がんが発見されるという苦境に立たされ、映画の中で亡くな
ってしまう、いわばこの映随一の悲劇的人物ですが、それでもいつも温かい笑顔で姉妹を
見守ってくれる存在です。
姉妹はときにそろって店を訪れ、二宮と千佳や佳乃が幼かったころの昔話をしながら食事
をしたり、幸や佳乃は看護師や銀行員の立場で患者や顧客としての二宮とかかわることに
もなります。
22 千佳・佳乃:こんばんは。
二宮:あら、みんなそろってなんて、初めてじゃない?
幸:久しぶりに食べたくなっちゃって。
二宮:うれしいわ。思い出してくれて。
千佳:なんにしようかなあ。
佳乃:わたし、とりあえずビール。あと、アジの南蛮漬け
二宮:あ、ごめん、よっちゃん。南蛮漬け今日、終わっちゃった。
佳乃:えー。
幸:じゃあ、あたしはアジフライ定食。で、ビール。
佳乃:お、珍しいね。じゃ、わたしもそれで。
23 幸:二宮さん。
二宮:ああ、さっちゃん。お久しぶり。
二宮:ああ、さっちゃん。お久しぶり。
幸:お久しぶりです。どうかなさったんですか?
二宮:ああ、最近ときどき、胃が痛くて。
幸:あら、それはよくないですね。
二宮:まあ、母親が亡くなったり、いろいろあったから。
幸:もうすぐ1年ですね。
二宮:また、来てちょうだいよ。お店。
幸:ええ。懐かしいなあ。
24 佳乃:食堂を残すには、弟様に1200万円を支払う必要があります。二宮さんの個人資
産は、普通定期合わせた銀行預金が600万、うちから600万融資したとして…
二宮:ごめんなさい。実はこの店、今月いっぱいで閉めるの。ちょっと、体の調子が
よくなくて。
佳乃:え?
22は、すずも含めた姉妹が久しぶりにそろって海猫食堂を訪れた場面です。ここでは店主
の二宮さんも、姉妹もそろって打ち解けた普通体の会話です。
本来なら店の主人は顧客には丁寧体・敬語を使うというのが『ハッピー・フライト』など
にも出てきた接客の基本だと思われますが、ここでは幼い時から近くの大人として姉妹を
親しく見てきたという関係が、接客のことばのルールを越えて存在すると思われます。-
そういえば同じ風吹じゅんが演じている『家族はつらいよ』の居酒屋の女将も主人公に対
して、普通体もまじえた親しい口調で話していました。
なお、この場合の二宮さんは女性文末「わ」なども使う、姉妹の大叔母や母の世代と同じ
ような普通体です。それに対して姉妹はもう少しフランクな中性様式中心の姉妹どうしの
会話と同じような普通体を使っています。
23は不調を感じて訪れた二宮さんを病院ロビーで見つけた看護師の幸が話かけるところ。
ここでは不調を訴える二宮さんに「どうなさったんですか」「それは、よくないですね」
と敬語や丁寧体で話しかける幸は、まさに看護師としての会話をしていますが、やがて二
宮から「店に来て」と言われると「懐かしいなあ」と心情を吐露するような、職業を離れ
た普通体に変わります。
24は佳乃で、弟とのトラブルの中で資産管理を相談され、地方信金行員として相談に乗る
場面で、客として食堂を訪れた時とは全く違う専門的な話を丁寧体でしていることがわか
ります。このように同じ相手に対しても話をする立場の違いによって話体をスイッチする
ということもあるわけです。特に職業的立場と私的な立場の違いによってことばが変わる
ということはよく見られます。
さて、まとめてみると
姉妹の会話スタイルを中心に普通体会話のバリエーションを見てきました。幸や佳乃は千
佳やすずと比べて多様な普通体会話をしているようです。
なかでも比較的高年代の大叔母や母に対して話すとき、彼女たちが使う女性形式「わ」
「かしら」などに合わせるかのように幸のことばにも「わ」などが現れるのは面白いこと
です。しかも、これら自己主張や、相手に対する反論・批判的な話題で出てくるようなの
も『家族はつらいよ』など他の映画にも見られた共通の傾向です。
が、それは一つには会話の相手が妹たちに比べて(少なくとも映画の場面としてはです
が)多様であるということもありそうですが、もう一つは相手や場に合わせて話体を決め
ている部分があるということだとも思われます。
普通体会話の文末表現のバリエーションについては小林(2020)で自然談話資料の女性の
会話について調査をしてみました。その結果、若年層に比べて年代が高くなるほど、使用
している文末形式の種類が多くなっているということが分かりました。
自然談話では20~40代には「かしら」の使用は皆無。「わ」は使用例がありますが、その
数は限られています。いっぽう「わ」も「かしら」も50代以上には一定の使用がありま
す。これらはいわゆる「女性形式」と言われる文末で、現代ではその使用は高年代に偏っ
ていると言えます。なお同じ「女性形式」と言えそうな「動詞(形容詞)+の(なの)」
「体言や形容動詞の語幹に直接つく「よ」(花よ)(きれいよ)」疑問形「~の?」など
は年代にかかわらず使用がみられました。
また、「動詞(形容詞)+んだ(なんだ)」「体言・形容動詞語幹+だ(よ・ね)」「か
な」などのいわゆる中性的と言われる形式は若年層から高年層までよく使われています。
女性形式を使う高年代が中性形式を使わないということではないようです。
また、いわゆる男性的な形式とされる「か?、かね?、かい?、かよ」などのうち「か
ね」は比較的高年代に偏っていて、しかも「かしら」使用者は使わない、「だぜ・だぞ」
などは自然談話の女性はほぼ使わないが「だな」については年代にかかわらず使う人も使
わない人もいるという結果でした。
ここからわかるのは、若年層がほぼ中性形式の文末形式を用いて話しているのに対し、高
年層は女性形式・中性形式両方を使い、若年層に比べると使用する形式が多いということ
です。
現在の高年層は、『家族はつらいよ』や『海街diary』、そして『愛と希望の街』にも見ら
れたような「わ」や「かしら」を使う世代として、若い時から今に至っているのだと思わ
れます。ただ、それと同時に若年層と同じく「だよ」「なんだ」「かな」などの中性形式
も身に着けている。それが高齢になってからあらたに身に着けたものなのか、もともとそ
うだったのかはもう少し考え、調べてみる必要がありそうですが…。
若年層のことばの中性化ということが言われますが、実はどの時代にもいわゆる「女性形
式」文末を用いず話す女性もいたであろうことは『愛と希望の街』の正夫の母などにも見
るとおりです。そこに女性形式が参入してきた明治以後昭和ぐらいまでの時期のほうが女
性のことばの特殊性が見られる時代だったというべきかもしれません。その残照?として
の高年代女性の文末の多様性が現れているのが現代の女性のことばかもしれません。
【参考資料】
小林美恵子(2019)「映画『何者』にみる若者ことばの「中性化」」『ことば』40号
pp.106-123 現代日本語研究会
pp.106-123 現代日本語研究会
小林美恵子(2020)「『談話資料 日常生活のことば』にみる女性のことばの中性化」
『ことば』41号 pp.3-20 現代日本語研究会